Xen0gl0ssia

退学浪人の闇を切り裂いた元高専生のブログですが技術系の文とかとかそういうのはないです。

ワンナイト・フロム・ザ・ブラック・ハーバー

あらすじ

ホテル・カデシュ外からの依頼を受けたエミリア。内容はエメスの企業から情報を抽出するというラン。簡単ではないが、リスクに見合った仕掛け(ラン)と判断したエミリアは、信頼できる暴力担当、ニーゼと共に仕事に掛かった。

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※注意:この小説は、VRChat内で行われる洋画風RPイベント「ホテル・カデシュ」、その中のサイバーパンク映画をフィーチャーしたイベント『プロジェクト:エメス』をモチーフにした二次創作です。

 



1.

 棺桶(コフィン)ホテル*1から一歩外に出れば、ホワイトノイズのような雨が降り注いでいた。僕は雨が好きだった。それは生まれ故郷のイングランドの陰鬱な空模様を思い起こすからでもあったし、残した些細な証拠が洗い流される可能性があるからという実利面の好みもあった。

 腰まで伸ばしたブロンドが濡れるのを気にしつつ、日本製の折り畳み傘を差しながら、彼は直径2キロメートルのケセド・フロート*2の上を進む。雨雲の下で光輝くビル群とは反対に、下に下に沈むように歩を進めれば、ケセド・フロートの周辺部、漁船やタンカー、果ては発泡スチロールの上に、粗雑な筏を組み合わせてなんとか沈まないようにできている土地にたどり着く。メガフロート・エメスの外周部は倦んだ空気が蔓延るスラム街としての姿を見せていた。

 予めアポイントメントを取っていたタグ・ボート乗り場に向かう。観光客や企業の棒給奴隷(ウェッジ・スレイブ)*3が一歩踏み込めば身ぐるみを剥がされ、生きては帰れないであろうその土地だが、僕には殆ど関係なかった。

 理由は二つ。ひとつは彼の右人差し指の指輪。一見、ただの指輪に見えるそれは裏社会では名の知られた組織のものだった。ホテル・カデシュ。ニューヨークを拠点にする一大暗殺組織の"客人"であることを示す指輪は、多少頭の回るものなら相手にすることをやめにする効力がある。なにせ、相手は世界最大の犯罪組織である。下手に手を出そうものなら、明日にでも刺客が送り込まれて報復が行われることは容易に想像できた。

 だが、このゴミ溜め(スプロール)には、そんな理屈では制御できない、無軌道な人間も多く存在する。無軌道に改造した結果誇大化したサイバネ・ウェアを振り回し、粗悪なクラック・コカインをオーバードーズして、押さえきれない衝動を野放図にぶちまけたがる人間。

 そう、今、僕の前に居る男のように。男は機械に置き換えた両腕を頻りに打ち鳴らしている。がごん、金属同士がぶつかる鈍い音。僕がその間に挟まれれば、あっという間にミートソースめいた惨状になるのは明らかだった。僕はと言えば、ジャケットの裏に縫い付けた隠匿(コンシールド)ホルスターに突っ込まれたグロックを抜こうともしない。抜く必要がないって分かっているからだ。

「やぁ、剃刀男(レイザー・ガイ)*4。僕はこれからデートがあるんだ。もう遅刻寸前でね、だから道を開けてくれると助かるんだけど――」

 言い終わるが早いか、男が意味不明な雄叫びをあげながら駆け出した。上半身に比べて、なんの改造も施されていない下半身は両腕のバランスの悪化に耐えきれず、ふらつきながらこっちに迫ってくる。

 やれやれだ。いつからこちらが一人だけだと思っていたのだろうか。ストリートの警句、背中に気をつけろ(ウォッチ・ユア・バック)*5

 男の後ろから、人影がひとつ。猛スピードで男に追いつき、追い越して、そのまま足を払う。ただでさえ不格好なバランスを崩されて、男は受け身を取る間もなく地面に転がる。せめてもの抵抗に機械仕掛けの両腕を振り回すが、ぶおん、ぶおんと空を切るだけだ。後ろから追いついた彼女は大味な軌道を読みきって、男の顎先を蹴っ飛ばした。どれだけ改造していようと、人間であるなら脳があり、それを激しく揺さぶられれば立つことはおろか動くこともままならない。男は赤子のように地面にうずくまった。

 無力化したことを確認すると、彼女は僕の方に歩いてきた。全身を覆うテック・スーツの上から、雨避けのパーカーを羽織った彼女は、無言ではあるがしかし、その瞳は早く来ないからこういう面倒ごとに巻き込まれるんだ、とでも言いたげにこちらを見つめていた。

「ごめんごめん、寝坊したってわけじゃないんだ。それにほら、ウォーミングアップくらいにはなっただろ?ニーゼ」

 いい加減なんだから、とニーゼと呼ばれた彼女は僕を一頻り睨みつけてから振り向いて歩き出した。僕も小走りでそれに並ぶ。彼女が今回の仕掛け(ラン)*6のパートナーで、このスラムを素手同然に歩ける理由のもうひとつ。卓越した暴力の才能を余すところなく発揮するサイバネ・ガール。ホテル・カデシュという後ろ盾と、戦いの才能を持つ協力者の二段構え。その二つが、このスラムでも僕がほとんど丸腰で歩ける理由だ。

「今日のデートプランは船内で説明するよ。それじゃ、今日もよろしく」

 にぃ、と冗談めかして言うと、ニーゼはため息をひとつ吐いて、それから、わかりましたよ、とでも言いたげに肩をすくめた。彼女の口は、釣られて歪んでいた。





2.

エミリア・ベルウッドか」

船着き場についた僕らを出迎えたのは痩せた男だった。

「そうだよ、今日はよろしく、ミスター・ヨハンセン」

 冗談めかして僕がそういうと、ふん、と鼻で笑いながら彼は船室へ向かう。僕らもそれに続いた。握手なんてものはしない。触った瞬間にステルス・タグを貼り付けられたり、無痛針なんかで毒を注入されたり、そういったろくでもないことを避けるための、プロ同士の”暗黙の了解”。殺し屋やその他世界中のろくでもない奴等を集めて和気藹々としているカデシュが如何に異質な場所か。 

 タグ・ボートとは言ったものの、もともと専用に作られているわけではなく、漁船を改装してフロート間移動に使用されているそれは、居室も薄暗く、こびりついた生臭い臭いが漂っていた。だが、これよりろくでもない臭いなど慣れている僕たちは、特に文句もない。無口な船長がエンジンを始動させると、ゆっくりとケセド・フロートの橋脚から離れていく。

 向かう先はコクマー・フロートだ。現在僕らが拠点にしているケセド・フロート、ホテル・カデシュの依頼で捜索を行っているティフェレト・フロートの両フロートから、コクマー・フロートへの直通橋は通っている。だが僕らはそこを渡ることを避けた。直通橋を渡れば、その記録はもちろんエメスの中枢サーバーへ記録される。証拠を残すことを避けるためには、直通橋ではなくスラムのボートを経由して移動するしかない。

 海上から見上げるフロートは、まるで寄生され、奇形となった貝のようだ。ねじくれて立ち上る高層ビルとその城下街。そして、その城に立ち入ることを許されないスラム。その両方が歪に発達した生き物のように見えた。

 ひとしきり眺めおえてから、僕はニーゼに向き直った。今はフードを脱いで、青いショートカットと青いラインの走るヘッドセット、そして幾何的な模様の浮かぶ瞳がーーこれは、サイバー・アイではなく、コンタクトレンズによるものだ――よく見えるようになっている。ニーゼとはこっちの世界にきてからそれなりに長い付き合いだったが、彼女の詳しい出自や、目的などはあまり知らない。ペラペラとよくしゃべる僕と対照的に、あまりにも無口で、何も話そうとしないからだ。だが、彼女は命じたことを確実にやり遂げる凄腕(ホット・ドガ)で、こちらのことを裏切るようなことも一度とてなかった。名乗れないような過去があることはこの界隈ならよくあることだ、というわけでさほど気にしていなかった。

「さて、と。今回の仕掛け(ラン)の説明だ。もう何回か説明してるけど、これでラストになるから確りと聞いておいてくれ」

そういうと僕は腿のコンピュータ、ハッキング用に調整された、攻撃目的コンピュータ、通称「デッキ」を一撫で。次の瞬間、ARO*7で表示された画面が周囲に現れる。薄暗い船内を仮想のディスプレイが照らし出す。KとBを重ね合わせたマークの後ろに、赤く描かれた幸の文字が目を引くロゴマークが表示された。

「今回の相手はコウフク・バイオテクス社、日系企業の幸福重化学工業の傘下で、メインの商品は人工筋肉。エメスにはコウフクの代表的立場として出資している」

 情報が虚空に現れては切り替わる。彼女はそれを見つめていた。画面には、槽の中に居るイルカが人工的な海流に逆らいながら泳いでいる様子が写される。

「ここの人工筋肉は海洋生物がベースでね、それが生命倫理に反するって批判を受けたモノだから、わざわざ子会社まるまるエメスに移転させて研究してるってワケ。ここなら、動物どころか、人間だって一山いくらで手に入る位だからネ」

 エメスは経済特区であると同時に、倫理の軛が脆い場所でもあった。違法な人体改造、ドラッグの密造・密売、サイボーグから生身までありとあらゆる性風俗、それから人造人間(アイソトープ)の鋳造。おおよそ考え付く限りの悪徳が、技術力が叶える範囲で行われているのがエメスと言っても過言ではない。

「そんなコウフク・バイオテクスだけれど、近年は自立型のドローンなんかに手を伸ばしてきている。人工筋肉はメンテナンスこそ繊細だけど出力は高いし、歩行型にすれば悪路にも強い。それに、人間大のサイズに納めるなら既存の火器の流用も効く。UGVとして有用なんだ」

 そこで一度話を区切る。彼女はAROから目を離すと、続きを促すようにこっちを見た。指揮者気取りで指を振ると、コウフクのロゴの回りにいくつもの企業のロゴと思わしきマークが浮かび上がる。

「当たり前だけど、コウフクが自分達に不利益をもたらすかも、って連中は大勢いる。この中のどっかが今回のMr.ジョンソン*8ってワケなんだけど……」

 ちょっとだけ、ちょっとだけ気まずい事実に、僕は言い淀む。ニーゼはその変化を見逃さない。どうしたの?と首を傾げる。いつも通り、依頼人はカデシュじゃないのか、と。

「その、あれだ、前金だけで10万ドルって言われて、経費さっ引いても一人当たり3万ドルって考えたらその、依頼人の身元がちょっとわかんなくても受けちゃうよな~、って」

呆れた、言葉にするまでもなく、その顔を見れば10人中10人がそう受け取りそうな顔で彼女は僕を非難する。

「で、できる限りはやったんだよ、その依頼人の噂がダークウェブとかスターズポイントに転がってないかとか、利害関係のありそうな組織をリストにして、絞り込めないとか。でも特定までは……そのぉ」

ごめん、と素直に頭を下げた。彼女は肩をすくめて、で、続きは?と促してきた。

 彼女にとって、僕がこういう博打を好んで打ちがちというのは知っていたことだった。3ヶ月前、ベガスのスロットマシンチップをを入手し、分析。アルゴリズム脆弱性をついて100万ドルを稼いだ後、カジノの元締めにタネが割れ、締め上げられそうになって稼いだ金をすべて叩いてニューヨークに逃げ帰ってきた僕を見て、ズルしようとするからそうなるんだ、と彼女はころころ笑っていた。だが、高度にハッキング対策が施されていたチップをクラックし、データの穴を見つけたのは僕だし、実際に現地で通用するものを作り出したのも僕だ。そして、彼女もそれは認めてくれている。彼女が許してくれたのを確認して、ほっと胸をなでおろしながら続ける。

「ともあれ、依頼人がそうやって姿を表さないということは、どんな理由であれ後ろぐらいものがあるってコト。僕らみたいな『否定可能な人材(ディナイアブル・アセット)*9にはうってつけな仕事ってことさ。それじゃ、今回の目的を伝えるよ。今回のミッションはコウフク・バイオテクスのオフライン・アーカイブに侵入、そこにある人工筋肉のデータを奪取する」

 ARディスプレイをつまんで、フリスビーを投げるような動きで回転させる。光が立体を描いて膨れ上がり、ディスプレイは光線(グリッド)で描写されたビルとなる。

「前段作戦として、例の公衆電話……レイチェル*10がぶっ壊したヤツ、カデシュの仕事のついでに、勝手にクラックして中央サーバ経由でコウフクのサーバに侵入。捜索エージェント・プログラムを走らせたけどそれらしいデータは見つからなかった。そこで数日、送られてくるデータを見てたんだけど……どうやら、オフラインにデータを移してる形跡があった。オフラインな環境が多分あるはずだ。だから、建築時の青写真と、ネットワーク経路図、フロア毎の電力消費を付き合わせて……」

ビルにピンチインして、とある一室をクローズアップ。

「この部屋。ネットから切り離されていて、フロアの電力消費が大きい。ここにアーカイブがあるはずだ。んで、これがそこまでのナビゲートデータ」

 ファイル状のAROを投げ渡す。彼女は滑らかなテック・スーツに包まれた手でそれを受け取ると、布に沁み込むようにファイルが消えていく。次の瞬間、彼女のヘッドセットが輝度を増す。インストールが完了し、AROで経路を確認、両目の動きが止まるのを見計らって、続ける。

「やることはいつもとおんなじ。君が潜入、僕がバックアップ。君のスーツと僕のデッキを接続状態にして、適宜ドアはこっちで解錠する。アーカイブまで潜入したら、データ・ケーブルでサーバと繋いで、僕がクラックする」

 運動能力に優れ、多少の警備員や、トラップといった障害を物ともしない『サイバネ・ガール』の彼女に、あらゆる電子の海を泳ぎわたり、セキュリティを欺く術を持つ『欺術者』の僕。彼女が侵入、僕が後方からサポートという形は、このコンビが仕事するうえで最も堅実な手段だった。

 異論はないと彼女が頷くと、僕も頷く。その後は撤退時の経路、現地への足、念のため「プランB」など、細部を打ち合わせているうちに、船の速度が落ちてきたのを感じた。

「さて、と……そろそろかな」

 エンジンの振動が徐々に弱まり、やがて停止した。道中無言だった船長が顔を覗かせると、着いたぞ、とだけ言ってさっさと戻っていってしまった。

「というわけでコクマー・フロートに到着だ。決行は4時間後。それまでちょっと休憩としよう」



3.

 どこのスラム街にもあるような、安さと寝れるベッドがあることだけが取り柄のモーテルでハンバーガーを胃袋に詰め込んで――ちなみに、僕が世界の何処にでもある、変わらない味の赤黄のショップに行くことを強硬に主張した――を出て、僕らは予め用意していた型落ちのトヨタ・プリウスに乗り込んだ。

 世界の公道でひっきりなしに走り続けているこのロケット・カーは、型落ちといえどエメスでも現役だ。防弾でもなければ圧倒的な速力があるわけでもなく、痛烈なギミックなぞあるわけもない。ボンド・カーの対極に位置するような車であったが、僕はこれを気に入っていた。つまり、世界中どこでも走っており、夕方の渋滞に車列に違和感なく溶け込め、最低限保証された走行性能があり、クラッシュしても日本車由来の安全性があり、パーツの入手性が良く、最悪の場合、例えば、車の底に爆弾が仕掛けられたといった状況でも、車でジャンプしながら工事用のクレーンにひっかけて爆弾を取り外すようなカーアクションをする必要がない。ただただ乗り捨てればいいだけだからだ、と言うように、まさに後ろ暗いことにうってつけの車だというのが持論だった。

 ニーゼはというと、あまり面白くないようで、乗ることはあっても運転しようとはしない。故に、プリウスのハンドルは僕が握っていた。カーステレオは適当なラジオ・チャンネルに合わせていたけれど、時折流れ込む違法無線のノイズがやかましかったので電源をオフにした。

 猥雑な道を数分運転すると、目的地の企業城下町が見えてくる。コウフクの従業員やその関係者だけが立ち入ることができる私有地にアクセスするための関所には、テイザーとスタン・バトンを下げた警備員が数人詰めている。僕らはなんのためらいもなく関所の前で車を止めると、ウィンドウを下げて一礼。

 日系企業は、こういうレイギに煩い。だから、目を付けられないようにこういう立ち振る舞い(エチケット)が求められる。警備員も同じく一礼。僕がIDを差し出すと、警備員も手持ちのスキャナをカードに翳す。ピ、と電子音が響くと、重厚そうな扉はあっさり開いた。警備員に再び頭を下げながら、アクセルをゆっくり踏む。

「今、僕らはコウフクのインターンにやってきた学生ってことになってる。予め流し込んでおいたクラック・アイスのお陰ってことさ」

 今回使った僕の自作のアイスプログラムは二種類。一つはトラフィックを監視し、データ流量から特定のファイルサーバを検索し、情報を抽出するもの。もうひとつは認証要素に干渉し、偽のID情報を取得するものだった。それらをコウフクの管理するサーバに流し込み、少しずつ、気づかれないように改編してデッキに送り返す。

 それなりの時間をかけて、僕はコウフクのシステムを突破していた。ついでに言えば、このとき撮影される顔写真も、受信したサーバ側で削除されるように設定している。

「とはいえ、これで入れるのは城下町まで、まだまだ序盤も序盤ってトコ。ここからは多少、乱暴に行くことになるからよろしく」

 クラックが完了しているからと言って、警備員や研究員の目がなくなったわけではない。シフトを弄くって人払いすることもやろうと思えばできなくはないが、大勢の人間を動かすことになれば怪しむ人間も増えることになる。そのリスクを犯すよりは、最小限の人数だけを排除していくほうが安全だと僕は考えていたし、ニーゼも否はなかった。

 

 ディフォルメされた女の子が丼とアイスクリームを持っている、謎の看板を掲げたラーメン・チェーンの近くの路地に路上駐車してから、車内が見えないようにサンシェードを張る。それから、装備の最終チェック。僕はジャケットの隠匿(コンシールド)ホルスターからグロックを抜くと、クリップをリリース。スライドを引いて薬室の9ミリを抜いて、再びスライドを戻してゆっくり引き金を引く。撃鉄がしっかりと落ちることを確認すると、抜いた弾丸をクリップに押し込めて、今度はベルトにくくりつけた別のクリップをチェックする。

 弾頭が青色に着色されたそれは、ニーゼが持ってきた品のひとつだった。ニーゼはどこからともなく、こういった風変わりな、試作品といった体のガジェットを持ってくることがある。この弾頭の正体は小型EMPだ。ニーゼの持ってきた説明書いわく、着弾点を中心に直径50cmの電磁パルスを発生させ、電子機器を破壊する。一見高性能に見えるが僕は好きじゃなかった。弾丸にそんな複雑な機構を組み込んで誤作動しないのかとか、弾頭重量が足りないからソフトスキンに対しても威力不足だとか、そもそも対EMP防御された機器には無力だろとか、いろいろ言いたいことがあった。が、サンプルが欲しいのか、ニーゼに押しきられて今回のランに持ってきていた。

 クリップをグロックに叩き込み、スライドを引ききって、離す。金属音と共に青色の弾丸が薬室に咥え込まれた。

ふと横を確認すると、ニーゼはもう準備を済ませていた。よく見れば不自然に膨らんでいるパーカーの中にはエミリアと同じように銃を吊っている。グロックともう一丁、やたらとデカイ拳銃だったのは覚えているが、なんてモデルだったっけ、などと思っていると、ドアの空く音がした。意識を現実に引き戻す。ニーゼが車外に出ると、ドアを閉める前に、こっちを覗きこんできた。ひとつ咳払いをすると

「それじゃ、状況開始だ。幸運を」

ニーゼは微笑むとドアを閉めた。






4.

 ヤマナカは込み上げてくるあくびを噛み殺して、警備用のプレハブの前で背筋を伸ばした。

 本来ならばあと二人ほど詰めているはずの警備は、今はヤマナカ一人だった。増員は何度も申請しているが、警備員が増える気配は一向にない。そんなもんだ、とヤマナカは諦めるかのように呟いてから、警備に戻る。

 就職氷河期になんとか採用にこぎ着け、それからずっとこの警備会社で働き詰めだった彼だが、数ヵ月前に転機がやってきた。海外派遣の話だ。元からこの警備会社が警備パッケージを派遣していたコウフク・バイオテクスがエメスと呼ばれる海上都市に移転するという話で、この会社の一部もそれについていく形となった。

 彼はその一員に選ばれたが、はじめは乗り気ではなかった。住み慣れた土地を離れるという決断をするというのが億劫だった。この海外派遣が終われば昇格と昇給を約束する、という話にも食指が動かないというのが本音だ。

 ならばなぜ、彼がエメスの地に居るのか。なんのことはない、乗り気ではなかったが、否定する気もなく、ただ会社から首を切られることだけを恐れてこのエメスの土地にやってきた。業務内容も内地と変わらない。多少、暴動や眉を潜めたくなる事件も起きるが、それらはすべて「壁」の向こうの出来事だった。

 自分は、このエメスの土地で変わらず仕事を続けながら、たまの休日には「壁」の向こうから流れ着いてきたドラッグを接種し、会社が斡旋した商売女を抱く。そうやってただ生きているだけでいいと彼は思っていた。

 向こうから歩いてくる人影を一人、ヤマナカは見つけた。ゆったりとしたパーカーに、下半身はレギンスパンツのようなタイトなシルエット。ヘッドセットを掛けたショートカットの女。

 一見してコウフクの社員には見えない。何者だろうか、と警戒心を強めながらヤマナカは女に声を掛ける。ようこそ、コウフク・バイオテクスへ。ご用件がありましたら、来館者向け端末にご記入の上、お待ちください。Botのように繰り返したその言葉は、しかし発せられることはなかった。

 女―― ニーゼは一気にヤマナカとの距離を詰めると、その鳩尾に拳を叩き込んだ。ヤマナカは声を発することなく、体を折り曲げて倒れると、ニーゼはヤマナカのスタン・ロッドを抜き取り、ヤマナカの首筋に押し当てた。あぐ、とか、ぐぇ、と聞こえて数回痙攣したあと、動かなくなる。ニーゼはスタンロッドを放り投げると、悠々とゲートを潜り抜けた。






5.

『オーケィ、警備員が足りないのは本当みたいだな。そのまま予定通りに進んでいって』

  ニーゼのヘッドセットに僕の声を模した合成音声が響く。先のボートでインストールされたルートデータが、ニーゼのAROコンタクトに表示される。

『ルート通りに進んでいけば、カメラに顔が写るようなことはない。こっちでカメラの向きも制御してるからね。それに、そっちの情報はこっちでも把握している。いやぁそのスーツ、本当に便利だ』

 僕は現在、プリウスの車内でリクライニングを限界まで倒し、意識をニーゼの方に飛ばしていた。比喩ではなく、文字通りにだ。髪留め型のDNI(ダイレクト・ニューロ・インターフェース)*11は、僕の意識をデッキ経由で電脳空間に送り出し、ニーゼのスーツやヘッドセットにダイブすることを可能にしている。今、彼の感覚は彼女のものであり、彼女の感覚は彼のものであった。故に、周囲の異変も二人で感じとることができる。

『さて、世間話もこの辺にしておこう。急がないと、いつ気づかれるかわからない』

 ニーゼが頷いたのを感じとると、二人で先を急ぐ。道中の警備員やその他の従業員は想定通りの人数で、二人の障害となるようなことはなかった。味気のない、リノリウムと白壁紙の通路を駆け抜け、オフライン・アーカイブの扉の前に辿り着いた。

『さて、と、ここのIDだけは抜けなかったから……ニーゼ、パスキーをお願い』

 僕が言うと、ニーゼは身に付けたポーチからケーブルが繋がったカードを取り出す。ID認証部にカードを押し付けると、スーツを経由して僕のデッキと脳に接続される。

『よし、破ってくるから、ちょっと待ってて』 

 言うが早いが、電脳の存在となった僕は、認証用ハードウェアのメモリに潜り込む。電脳空間はしばしば「海」あるいは「母胎(マトリックス」と形容されるだけあって、多くのクラッカーがその行為を「潜る」と評することが多かったし、僕もそうだった。

 電気の速さで認証用ハードウェアの防壁に辿り着くと、魔法使いめいて指を振った。アイス起動用のコード。小さなサメを思わせるペルソナを持つ攻撃用アイスを生み出すと、血の匂いを嗅ぎ分けるように防壁の穴を探し回る。

 現実世界では1秒ほど、電脳での体感ではそこそこの時間が経過して、小さなサメが穴を見つける。すぽり、トゥーンコミックのようにその穴にサメが入り込み、内側から錠前を嚙み砕いて扉を開ける。

『おっけ、これで試してみて』

ニーゼが再度カードを押し付ける。短い電子音が鳴って、ドアが開く。想定通り、全く問題無し。理想通りのクールな仕掛け(ラン)。左右の奥歯を交互に舌でなぞって――実際は、意識の中でやっているだけで、肉体は動いていないのだけれど―― 次の仕事に取り掛かることにした。

『右から3番目で……手前から5番目、そう、それ。そいつに繋いでくれ』

 オフライン・アーカイブに侵入したニーゼは、僕の指示でデータ・ケーブルを端末に繋いだ。次の瞬間、再び仮想空間に躍り出る。先ほどのサメの要領で認証を突破すると、お目当ての人工筋肉に関する資料を抜き出すために泳ぎだした。

 アーカイブという名前から連想されるように、ここの電脳は図書館を模した作りになっていた。本と本の間を泳ぐという奇妙な体験だったが、僕からすれば慣れたモノだ。幾つか気になる――適切なルートで売り捌けばそれなりに金になるか、貸しを作れるか、あるいは借りを返せそうなようなモノ――を抜き出してコピーする。これはあのメイドが好きそうな話、これはあの整備屋にウケが良さそうな話。

 カデシュの誰かしらが好みそうな情報を幾つかファイルをコピーしつつ、データ爆弾が無いかチェックする。データ爆弾は、ファイルに設置するプログラムの一つだ。警戒なしに開けば、高速バイナリ情報の奔流に脳を焼かれる。ハッカーのある種の脳の言語能力を逆用(ハック)した、対ハッカープログラムのことを一般にデータ爆弾と呼んでいた。

 ファイルをスキャンすると、大抵どれにもそれなりの強度のデータ爆弾が仕掛けられている。慎重に、でも急いで、仮想のニッパーでコードを切断するイメージで爆弾を解除する。幾つか解除して、これらがすべて既成のデータ爆弾だと分かった。つまるところ敵ではない。

 最後のファイルを引き抜く。タイトルは「人工筋肉の生物培養の新方式Ver14.2」。お目当てのファイルだ。カバーを少しだけ開けて、データ爆弾の有無を確認する。今度は見つからなかった。最後の一つとなったそれをコピーしようとして、違和感に気づく。データ爆弾が無い?コイツだけ?そんな都合の良いこと、あるのか?

 その思考をアラートの大音量がかき消した。反射的にファイルを投げ捨てて顔を背ける。瞬間、猛烈な勢いでバイナリ情報が吐き出され、電脳空間が歪む。データ爆弾がなかったのではない。敵のハッカーが、データ爆弾の代わりに爆雷槍を構えて、虎視眈々とこちらに突き刺す隙を伺っていた。そしてそれはたった今炸裂して、僕の脳味噌を焼き切らんとした。なんとか回避すると体制を立て直して、マイクに向けて叫んだ。

『プランB!!!ハメられた!!!』

 同時に脱出の為に床を蹴り、図書館の出口へと加速。オマケとばかりにグラップル・ガン*12を取り出すと、ファイルに向けて射出する。粘着性のあるワイヤがファイルに絡みつき、目標のファイルを引っ張る。

 鎧武者姿の敵ハッカーは、面具越しにもわかるにたりとした笑みを浮かべると、爆雷槍を片手に此方にに突貫。僕は左手で仮想のデザート・イーグルを引き抜く。クリップの中にはお手製の殆ど(ブラック)なアイスが詰め込まれたデータ・バレットが8発装填されていて、命中して、防壁を抜ければ相手の物理的身体に影響を与えうるデータを流し込めるシロモノだ。狙いをつけて、発射。ハンド・キャノンは敵ハッカーの鎧に直撃するも、止まらない。コウフク製の防壁は優秀なのか、それともこっちのデータ・バレットの効力が弱いのか。

 どっちにしても、戦っても勝ち目がないので逃げることにした。ファイルを回収し終えた後のグラップル・ガンを出口に向けて放つ。着弾と同時に巻き取りを開始。その間にも敵ハッカーは槍を手に迫ってくる。侵入してきた不届き物を焼き殺さんと突進してくる様は、痛みを感じない戦士の様でもあった。だが、逃げ足だけなら此方が早かった。グラップル・ガンが巻き取りを終えると、その勢いのまま図書館のドアを蹴り開ける。同時にニーゼに連絡。

『ケーブルを引っこ抜け!逃げるぞ!』








6.

 現実世界に戻ってきた僕を迎えたのは時差症候群のような症状だった。仮想空間からの急激な離脱はしばしばこのような身体と精神の乖離を引き起こす。通常なら宇宙船に余減圧室があるように、肉体に一つずつ機能を戻すことでこのズレを抑制するのだが、状況がそれを許さない。

 体の重さに抗いながらアイドリングしていたプリウスのアクセルを蹴飛ばすと同時に目の前に人影が現れた。しまった、今から止まるなんて無理だ。だが、そんな心配は悪い意味で杞憂に終わった。がしりと車体が受け止められる。

「嘘だろ……!?」

 フロントガラス越しに緑色に光る6つのセンサー・アイがこちらを見つめていた。頭部と思わしき部位は肩となだらかに繋がっており、西洋のブレムミュアエを思わせる姿だった。前輪の接地感が徐々に消えていく。

 ドアトリムに突っ込んであったソウドオフ・ショットガンを引っ張り出して、装填されていた4発のスラグ弾を怪物の頭めがけて撃ち込んだ。苦手な現実世界での射撃で、揺れる車内とはいえ全弾外すようなヘマはしない。なんとか一つは怪物に直撃する。が、ぐしゃぐしゃに崩れるフロントガラスと対照的に、装甲に僅かな傷を付けるだけに終わった。

  残念なことに、ここは母胎(マトリックス)でも仮想現実(メタヴァース)でもなかった。僕じゃ倒せない。そう判断して、ショットガンをペダルとシートの間に閊えさせ、アクセルを押し込んだ状態にすると、ドアのロックを解除して外に転がり出た。そのまま背を向け、駆けだす。きぃ、い、金切声にも似た駆動音が怪物の方から聞こえたかと思えば、1.5トンの車体が徐々に地面から離れる。亀の子のように車体がひっくり返ると、前輪ばかりが煩く回りつづけた。その間にも距離を離し、角を曲がる。

 ちらりと見た怪物は、人工筋肉を装甲板の内側に詰め込み、身長2m50cmを越す、4本脚の異形だった。

 走る、走る。万一のプランB、そして撤退ルートは決めていたが、まずは迫ってくるコウフクのUGVを撒くのが先決だった。AROにニーゼの現在位置と状況を表示させながら、路地をひたすらに走る。表示される情報を信じるに、彼女の方も接敵しているとのシグナル。こっちに来るまではもう少し掛かるだろうか。

 後ろを振り返ると、UGVはもう追って来ては居なかった。いつのまにか迷いこんだ再開発地区は、廃墟となった低層のビルが立ち並んでいる。ビルの谷間で小休止しながら、彼女のことを考える。ニーゼなら、どうにか脱出できるだろう。そしたら合流して、外縁のスラム街から幾つかフロートを経由してティフェレトへ帰る。つまるところ、彼女がこちらに来るまで逃げ回るのが勝利条件だ。

 そう言い聞かせてから、上がり切った息をなんとか落ち着かせる。UGVがこちらに気づいた様子は無い。なんとかこのまま隠れきれば、と思った矢先だ。

 どごん、という音と共に、僕から一歩離れた壁が吹き飛んだ。飛散した瓦礫が額に直撃し、ぐらりと視界が揺れる。咄嗟に額を押さえると、ぬるりとした生暖かい感触。穴から覗く無機質なはずのセンサー・アイは、彼を嘲笑っているかのように見えた。

ジャック・ニコルソン気取りか、クソッタレ」

 破砕音がもう一度聞こえると、ゆらりとUGVが路地へと現れる。咄嗟に反対方向に逃げ出すが、その逃避はものの十数秒で終わった。立ち入り禁止の文字と、コンクリートの塀で路地が封鎖されていたからだ。わざとここに追い込まれたんだと理解する。振り向けば、こちらに近寄る四つ足。こうなったら、やれることは一つしかない。

「こういうのは僕のシュミじゃないんだけどな……!」

隠匿(コンシールド)ホルスターからグロックを抜くと、怪物に向けて撃ちまくる。だけれど、そもそも僕は射撃が苦手だ。ゆっくり近づくデカい的にもほとんど当てられず、弾丸は明後日の方向に飛ぶ。だから銃は嫌いなんだ、悪態を吐きながら、15回目の引き金を引く。

 スライドが後退したままになると同時に、ようやくクリップ最後の一発が直撃した。説明書通りにいけば、直径50cm以内の電子機器がショートし動作不能になるはずだった。しかし、UGVは止まらない。電子回路を厳重にシールドしてあるのか、それとも当たり所が悪かったのか、いずれにせよ望む結果は訪れなかった。急いでクリップをリリースして、後ろのポーチからマガジンを引き抜こうとして、もう遅かい。

怪物の手が僕に届く。ジャケットごと襟を持ち上げられ、そしてそのまま背後の壁に叩きつけられた。かは、と肺から無理矢理酸素が押し出されて、意識が飛びそうになる。UGVは ―― 正確には、UGVにジャック・インした、例の爆雷槍のハッカーは ―― その様子に満足げにセンサー・アイを瞬かせた。殺さないようにマニピュレータを緩めると、そのまま担ぎ上げようとする。

 がしり、僕はその腕を掴み返した。僕が抵抗する力がないと思っていたUGVは、狼狽えたかのようにセンサー・アイでその腕を見た。僕がまだ動ける理由はシンプルだ。右の奥歯に仕込んだ戦闘用ドラッグ、暗殺教団の時代から伝わる伝統的な大麻成分と、無理矢理心臓を動かして酸素を行きわたらせる為の強心剤のカクテルを吸引した。要するに、薬理作用で強制的に覚醒したのだ。

「なぁ、僕に触れたな」

 掠れた声でUGVに声を掛ける。その目は真っすぐにUGVを、正確には、そのUGVに繋がるハッカーを見通す。

「お前にも見せてやるよ、黒い入り江(ブラック・ハーバー)ってヤツを」

左の奥歯に舌を這わせる。中に仕込んだ電子戦ドラッグ、CRE-46を吸引。脳組織が融解しそうなオーバー・クロックが始まる。

僕は転じた(フリップした)






7.

 エミリア・ベルウッド、本名をエミール・スズキという彼の人生は、ハックと苦難を友にして歩んできたものだった。物心ついてからというもの、親族は一人も居らず孤児院で育った。ただ、他の人間とは違う肌の色だけが、彼のルーツの日本にもあることを物語っていた。

 学校では、黄色人種の血が混じっているということで差別を受けた。小柄であったこともそれを助長し、いわゆる”良い身分”の人間からは特に過激に迫害された。だが、彼は泣き寝入りすることなどなかった。同じく迫害された孤児院のメンバーをまとめ上げ、良いご身分のお坊ちゃまの身辺を調べ上げて、とことんやり返した。

 手始めに学校の成績を改ざんして、進路をめちゃくちゃにしてから、フェイク・ポルノにお坊ちゃまの顔を合成したビラをバラまいた。彼の触る電子機器の制御をことごとく奪い、スパイウェアを流しこんで四六時中監視した。そのうちノイローゼになった彼は、どこか遠くに引っ越した。エミールにとっては最初の成功だった。

 こうしてエミールは、誰かを陥れるためにコンピュータを利用した。その才能は花開き、16の頃にはICLの学位を得た。同時に彼は自分のスタイルの1つを確立させた。学内外から非合法の依頼を受けるブラックハットだ。ある時はアストン・マーティンのCAEデータを別の会社に売り渡し、ある時は某国のATPを掻き回して核発射施設のサイロを勝手に開け、またある時は、サロンにでも入り浸るかのようにGCHQのブラック・サイトに出入りした。彼とコンピュータは一心同体の存在だった。

 ある日、彼はGCHQNSAが奇妙なログをやり取りしていることに気がついた。オペレーション・ブラックハーバーと名前の付いたそれは、キーの省かれた暗号文でやりとりされているらしい。キーはおそらく物理的にやり取りしているのだろう。

 そう判断してからは早かった。彼は孤児院時代の旧友達に声を掛け、GCHQに"仕掛け"た。ラン自体は成功だった。エミールは暗号鍵を入手し、総当たり式(ブルートフォース)で暗号を解読した。そのファイルには、ハッカーを対象にした電子戦ドラッグ「CRE-43」と、その被験体になった米軍のサイバー部隊の記録が残されていた。ヤバいくらいホットなネタだ。これはしばらく、大人しくしていたほうがいい。馴染みのパパラッチにも旧友達にも詳細は話さず、エミールは姿を晦ます準備を始めた。

 それから30分後、エミールのフラット*13は吹き飛んだ。強襲され、捕らえられたエミールを待っていたのは実験体としての日々だった。一切の自由を奪われて、脳味噌を外科的に弄くり回され、試作品の電子戦ドラッグを投与された。実験の最中、彼はいつも黒い入り江にいた。周りには沈みゆく人影が幾つも見えた。黒い入り江、光の届かない海の底。

 終いには、外科手術中のミスでニューロンを損傷させられ、用済みと言わんばかりに放逐された。凡百のハッカー程度に能力を落とした彼は、しかしそれでも電脳界から脚を洗うことが出来なかった。そうして彼は、カデシュの門を叩くことになる。

だがその実験は、彼に一つだけ幸運を齎した。CRE-46、彼が最後に投与された電子戦ドラッグは、彼の特異な能力を開花させた。それが、「電子機器への、生体脳によるハッキング」だ。CRE-46を吸引したあとの僅かな時間だけ、彼は電脳の預言者(サイバー・マンサー)となる。








8.

 UGVの電脳にジャック・インして、地面を――今の彼女には、脚を動かした先のすべてが地面と同然だ――蹴るようにして、電子の海で急加速する。視線の先はもちろん、鎧武者のハッカー

 迎撃に出てきた対ハッカーのエージェント・プログラムがいくつも立ち上がると、プログラムされた通りに真っすぐ向かってくる。僕は彼らに手を向け、ただ念じた。凍れ、と。瞬間、思考が氷に変換され、エージェントの体から氷柱が突き立つ。

 このサイバー・マンサー能力は、思考を限りなくそのままに電脳空間へと反映させるものだ。故に凍れ、と念じれば、自動的にすべてのプログラムを解析・脆弱性を攻撃することが出来る。エージェントを制圧すると、再びUGVを操るハッカーの方へ視線を向ける。

 敵のハッカーは怯えを面の下に隠しながら、手にした爆雷槍をこっちに投げつけた。避けようともせず、代わりに、右手の内に一振りの剣を生み出すと、雑に振り払う。電脳空間に風が生まれると、槍は風に撒かれて遥か彼方に消えた。そのまま縮地めいてハッカーに接近すると、一太刀。鎧武者も新しく太刀を生成すると、その剣を受け止めた。一瞬だけ鍔迫ってから、不意を撃つように剣をデコードする。鍔迫り合いしていた剣が急に消え、鎧武者が体勢を崩すのを見逃さない。左手に剣を再生成すると、敵ハッカーの横腹めがけて振り抜く。ハッカーの甲冑に刃が食い込むが、鎧の形をしたコウフクファクトリー製の防壁は、なんとかハッカーがUGVの中からはじき出されるのを阻止した。

 卓越した技量を持つハッカーとの電脳戦は、僕の能力でも思うままにとは行かない。凍れ、と念じるも、鎧武者が自身のデッキを手動で動作させデコードを行うせいで決定打とはならない。鎧に霜が降りているから、効いていないわけではないし、その防御にリソースを裂かせているだけでもこちらが戦況的には有利だ。だが、時間は確実に鎧武者の味方だった。

 鎧武者が刀を横薙ぐと、剣から手を離してバックステップ。今度は両手に剣を生み出し、一振を投げつけて目くらましにしながら踏み込む。鎧武者側も爆雷槍を生み出すと投擲。空中で炸裂するとデータ爆弾が炸裂し、空間にバイナリ情報を巻き散らす。回避用の障壁にリソースを回してデータ爆弾から身を守るも、これを好機と見たのか鎧武者も仕掛けてきた。カウンター気味に踏み込むと、猛然と刀を此方に突き立んとする。

「それを待ってた……!」

 次の瞬間、僕は空間に自分の情報を拡散させた。刀は虚空を穿ち、鎧武者の体勢が崩れる。そして、再び電脳世界に自身を再構成する。体勢を崩した鎧武者の後ろ側に、大上段に剣を構えて。量子ジャンプじみた挙動に、振り向く鎧武者の顔が驚愕に歪む。だけれどもう遅い。このまま彼を叩き切り、黒い入り江(ブラック・ハーバー)まで叩き落さんとする。

 だが、そうはならなかった。剣を振り下ろし、鎧武者の兜を割ったところで、力が抜ける。CRE-46の限界時間が来てしまった。鎧の霜は払われ、エージェント・プログラムの氷は解けていく。そして僕は、電脳世界から弾き出された。

 肉の世界に戻る。胃から血が溢れて口元を赤く濡らし、今度こそ全身の力が抜け落ちる。相対するUGVのセンサー・アイが数度の明滅の後に、点灯。吐血とCRE-46のキックで無理矢理に意識を繋ぎ止められながら呟いた。

「ったく……最後まで、こんなんばっか……か、僕は」

 その言葉を嘲笑するかのようにUGVが完全に再起動すると、僕を突き飛ばす。糸の切れた人形のように地面を転がるしかない。それでも、口だけは良く回った。

「一つだけ、教えといてやるよ」

 今にも息絶えそうな声をUGVは拾ったようだ。勝ちを確信しているUVGと、そのオペレーターのハッカーは、その教えを待ってから、僕を捕まえる気だろう。勝者の余裕というヤツだ。……だから、それが付け入る隙になる。

「ストリートの警句、背中に気をつけろ、弾を切らすなーー躊躇わず撃て」

 直後、UGVの背後に何かが落ちる音がした。否、落ちてきたのではない、着地したのだ。思わずUGVが振り向くと、対サイボーグ用の超大型拳銃を構えるニーゼの姿。UGVは咄嗟に回避行動を取ろうとするが、狭い路地での回避は、ニーゼの前では悪あがき以上の意味は無かった。

 静かにトリガーを落とす。シリンダーに装填されたコンデンサが解放され、一対のレールに大電力を放出。余剰のエネルギーがプラズマとなって大気を灼きながら、飛翔体(プロジェクタイル)ローレンツ力によって超音速で放たれる。スラグでは傷しか付かなかった装甲を、タングステンが穿ちぬき、その運動エネルギーを余すことなく伝える。内部機構をぐちゃぐちゃに破壊しつくし、人工筋肉が数度痙攣すると、UGVは動かなくなった。

「……ナイスタイミング、ニーゼ。助かった……」

 ごろりと仰向けに転がり、ニーゼの姿を確認する。多少すすけてはいるものの、無傷。流石僕のパートナーだ。

「このとおり、フィッシュアンドチップスの下に敷いたザ・サンより酷い有様でね、連れてってくれるかい?」

 ニーゼに向けて手を伸ばす。彼女は微笑みながら頷くと、僕の手をしっかりと握った。まだ僕は生きている、こうして手を繋げることが何よりの証拠だ。今はそれを喜ぼうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき

 疲れました。300光年振りにこれだけの文章を書きました。

 盛り抜きでは7?8?年ぶりくらいにストーリーがある小説というものを書きました。最初は自分のカデシュRP用のキャラ、エミリアと、僕と仲良くしてくれているフラットくんのカデシュRP用のキャラ、ニーゼのちょっとカッコいいところを見たいな、くらいで書き始めましたが、本家の情報量に押され、負けじと情報量が膨らんでいきました。最初はランする企業とか目的とかガジェットとかハッキング描写とか、適当にぼかして書こうとしてたんですが、T00も男の子故に、自分だけのイフリートとか幻のストライカーパックの設定を作りたくなってしまった結果が1万5千文字オーバーです。い

と言っても、アイディア自体はかなりの部分がTRPGシャドウラン』に影響を受けています。胡散臭い名前の日本企業はモロにその影響を受けていますね。作中出てくる「ストリートの警句」なんかはそのものズバリシャドウランの言葉です。”ドラゴン”は、現在カデシュ世界の中では観測されていませんけどね。*14

 ただでさえ長いこと小説を書いてなかった上に、書きたいものを詰め込んだせいで第三者的に見たらヤバい文章に見えなくなってしまいましたが、楽しんで頂けたり、読み切らないまでもこんだけ書き切ってすげぇなぁと思って頂けたら幸いです。

そして感謝の言葉を。

 ホテル・カデシュのスタッフの皆様、あなた達が作り上げた世界とその情熱が、長らく創作から離れて錆びついていた僕にこれだけ文を書かせようと後押ししてくれました。ありがとうございます。

 Boothの説明文がマジでシビれるONIOKOZE。出していいかな?と連絡を取ったらOKを出してくれたねうさん。ありがとうございます。モデルの方も舐めまわすように見てます。うにてークソ雑魚ナメクジなので、導入できるように頑張ります。下のURLから見れるので、ここまで読んでくれた方は是非目を通してみてください。

niente-neu.booth.pm

 ちょっとだけ登場させていいか、と聞いて快く了承してくださったまりびあさん、シェーリングさん、ありがとうございます。ホントにちょっとしか出てなくてごめんなさい。アイディアが浮かんだら、二人がしっかり登場するのも書きたいと思います。

 ニーゼ役として最初から最後まで出ずっぱりだったフラット君。この小説は「ニーゼちゃんがエミリアを襲っているデカブツをブッ飛ばして助けるところが見てぇな」というところから始まりました。君が居なかったら絶対に完成してませんでした。本当に、ありがとうございます。

 

では皆様、メガフロート・エメスで逢いましょう。   T00

 

*1:カプセルホテルのこと。

*2:メガフロート・エメスのフロートの一つ。命名生命の樹から。

*3:企業に人権を剥奪されながら、労働に従事する人々。さらりまん、とも。

*4:戦闘用の身体改造された男性のこと。対義語は剃刀女(レイザー・ガール、又はジレット

*5:TRPGシャドウラン」より。サイバーパンク世界のストリートで生きる上での心得。この後に、「弾を切らすな、躊躇わず撃て、”ドラゴン”には絶対手を出すな」と続く。

*6:犯罪行為のこと。中でも、高度な技術を要するものを差すことが多い。

*7:オーギュメンテッド・リアリティ・オブジェクト。現実空間に投影された仮想の物体のこと

*8:身元を隠した依頼人の比喩。ジョンソンがありきたりな名字なことから

*9:切り捨てることができる人材ということ。だが、使い捨てと同義ではない。彼らにはカデシュという後ろ楯こそあるが、万一彼らが失敗したとしても、カデシュ・グループが彼らとの関与を認めることは一切ない。

*10:ホテル・カデシュの上級会員。プロジェクト:エメスには遠隔操縦のロボットで参加していた。

*11:いわゆる思考制御デバイスのこと

*12:ワイヤを射出して目標に取りつく、巻き取り機能付きの銃のこと。壁を登ったりモノを引き寄せる時に使われる。

*13:アパートの英国での呼び方

*14:ただし、ここで言うドラゴンとは、「強大な権力と武力を持つ者」とも取れるので、そういう意味ではカデシュは”ドラゴンの巣窟”とも言えるかもしれません