Xen0gl0ssia

退学浪人の闇を切り裂いた元高専生のブログですが技術系の文とかとかそういうのはないです。

魔特六課八咫烏 Interveners of Folklore ~ウサギの威を借るカラス達!?~

※注意:この小説は、VRChat創作グループ「神祇省公安対魔特務六課 八咫烏」の世界観を元にした二次創作小説です。

 

 ネイビーグレーの制服に身を纏った青年は双眼鏡から目を離し、水平線に浮かぶその船を肉眼で見た。遠くに輝く不夜城は、青年にとっては縁遠い存在に思えた。

「でっけぇなぁ」

 思わずぼやきが出る。あの客船の巨躯に比べて、自分が今乗っている船のなんと小さいことか。もちろん、大きいことが良い船の条件というわけではないことは知っているが、実際に肉眼で確認するとその威容に圧倒される。

「なんだ、クジラでも居たか」

 薄赤く光る計器類に照らされた隣の席の先輩が、青年に問いかける。いえ、と青年は答えてから、水平線の光を指差した。

「やっぱ豪華客船ともなると、すごいんですね。水平線にあるのに、あんなに輝いて見える」

 そう言うと先輩は双眼鏡を構え、遠くの客船を確認した。

「この時間にここに居るのは……イエマンジャⅡか。南米からの客船らしいな。造船は日本資本が関わってるみたいって話だけど」

「へぇ、先輩詳しいんですね」

「あたぼうよ、何年やってると思ってんのこの仕事」

 そう自慢げに笑う先輩に苦笑を返しながら、青年も再び双眼鏡越しに客船を視て、つぶやいた。

「なにやってんでしょうねぇ、あの船」

 

「おう、やってるか」

 その声に青年達は振り向いた。視線の先には巡視船たんじょうの船長が、マグカップの乗った盆を手にしていた。すぐさま青年達は敬礼し、船長は答礼した。

「楽にしてくれていい。ちょっと野暮用で来たもんでな。ほい、コーヒー」

と言いながら、マグカップを青年達に手渡した。青年達はかしこまりながらもそれを受け取り、船長が自身のカップに口を付けると、後に続くように青年達もコーヒーを飲んだ。

「ありがとうございます、船長。しかしなんだってこんなところに」

「こんなところにじゃないさ、哨戒は我々の最もたる仕事だろう? ま、ちょっとだけ見たいものがあってな」

 借りるぞ、と一言言ってから、船長は青年の膝に置かれた双眼鏡を手に取った。そして彼は、青年達が先ほど見ていた客船へとレンズを向けた。

「……少し遅いな。それに喫水が深い。あの型にしちゃわずかに、ってところだが……なにか抱えてんのか?」

 ぽつり、と小さく呟いた船長の言葉に青年はえ、と声を漏らし、船の方を凝視する。だが、双眼鏡を持っていない青年にはそうは見えない。先輩はというと、また別の方向へと警戒の対象を移していた。

 船長は双眼鏡を青年の膝に戻した。

「ありがとさん、ちょっとばかしあの客船を見ておきたくてな。老後に乗るならああいうのがいいと思ってたんだ」

「何言ってんですか、どう考えても、船長はあんな図体のデカいのより、ボートをブイブイ乗り回してるほうが似合ってますよ」

「こいつぅ」

 先輩のヤジに船長は答えながら、踵を返した。

「じゃ、哨戒頑張ってくれ。俺は戻るよ」

 はぁ、と気の抜けた返事を思わず返してしまいながらも、青年は再び双眼鏡を手に、客船のほうを見た。船長のような差は、ついぞ感じられなかった。

 

「さてと、こんなもんかな」

 船長は書いたメールの文面を確認すると、送信ボタンを押した。本来課業中は使用を厳禁とされている携帯電話だが、この端末は一般的なネットワークにはアクセスされていない。独自の通信方式でのみ交信を可能とする特別な端末だった。無事送信出来たようで一息つくと、船長はその携帯電話をポケットに仕舞った。一日一回だけ、その携帯の通知を確認するのが、船長にとっての習慣だった。何も来ていないことの方がはるかに多かったが、それでも確認だけは怠っていなかった。

 だが、その知らせは急にやって来た。いずれ来ると思っていた相手からの、数年ぶりの連絡は業務的ではあったが、それが余計に送り主の人柄を思い起こさせた。

「こんなのでも役に立てばいいんですけどねぇ、津守さん」

 そうつぶやいた船長の言葉は、船内に溶けて消えていった。




 同時刻 東京都高尾市 山中

 津守は端末に通知が来たのを見て、それを開かずにポケットに仕舞った。送り主も内容も分かっていた。使わないに越したことはないが、「保険」は常に用意しておくべきだということは、長年最前線に近い場所で戦い続けた津守の処世術であった。

 全世界で使われ、どんな状況でも変わらず時を刻み続ける実用性重視の腕時計で時間を確認する。現在時刻は24時25分、予定時刻まであと5分。

「津守課長」

 声を掛けられて津守はそちらを向いた。多目的式通信支援車の車内は搭載された機材が発する明かりでうっすらと照らされ、その機材には各々それらを操作するオペレーターが付いている。液晶には、これから襲撃を仕掛ける予定の山間の廃工場がさまざまな角度から映されている。

 声の主は立川ミコトだった。黒髪をショートに揃え、眼鏡姿の理知的な女性は津守がこちらを向いたことを確認して言葉を続ける。

「各隊員、予定位置に到達、肆〇式の展開準備も完了しています」

「そうか。予定時間になり次第肆〇式を作動させ、その後突入する。向こうに動きがない限りな」

「了解、各隊員に通達します」

 立川は敬礼し、津守は答礼を返す。そのまま、無言の時間が過ぎる。その間も車内の全員が気を抜くことはない。作戦開始前の不測の事態にも備え、全員が支援車に表示される情報を注視していた。

 やがて時計は秒針を刻み、24時30分を指した。同時に津守が告げる。

「作戦開始、肆〇式を展開しろ」



「了解、肆〇式、展開します」

 津守の声を通信越しに受け、銀髪を長い三つ編みに纏めた少女が、返事すると同時に肆〇式可搬広域結界生成装置の起動レバーを引いた。瞬間、霊力を込められた杭が地面へと打ち込まれ、接地面から結界が展開される。接地地点から半径500m圏内に認識阻害効果を持つ結界は、彼女達の存在を夜の闇以上に隠す。

「肆〇式展開完了」

 結界が展開されていることを肌身で感じた彼女は確認するように呼称し、周りを見る。

そこには統一されたロービジブルな制服に身を包んだ10代から20代の少女が数人。その全員がその手には似つかわしくない銃器や刀剣を手にしている。傍目に見れば異様な光景だったが、彼女達の振舞いは決して遊び半分ではない。むしろ熟練の兵士を思い起こさせる手つきで、各々が安全装置を外し、初弾を薬室に送り込む。無論、肆〇式を作動させた彼女の手にも、月明りを黒く反射する銃器、P90が一丁。同様に装填。

 銀髪の――そして、頭部に猫のような耳を生やした半妖――の少女が、号令を掛けた。

八咫烏各員、目標に突入せよ」

 そう、彼女達はただの少女ではない。人間社会に入り込む「怪異」、それにより発生する事件・事故を解決するために組織された神祇省直属の特務部隊。

 彼女達の名前は、魔特六課八咫烏




 突入は静かに始まった。目的地は山間に作られた二棟ある廃工場。それぞれ一部隊づつ廃工場に取り付いた少女達は静かに、慎重に、しかし結果として素早く侵攻する。ドアを開け、一分の隙もなく銃を構えて、一区画ずつ進む。

 銀髪の少女が率いる部隊は大きな空間に至った。天井は半分ほどが崩れ、大穴からは星空が覗く。作業機械は大半が持ち出されていたが、一部はそのまま残置され、経年劣化した姿をさらしている。大きなシャッターの横には人が通るためのドアがあり、その手前には廃工場には似つかわしくない真新しいトラックが一台停車している。ドアから十数歩歩いたところには、トタン板で区切られた事務所となっている区画があった。

 彼女達はハンドサインで意思疎通を図る。少女の一人がドアノブに手を掛け、後続の少女がフラッシュバンを手に取り、ピンを抜く。銀髪の少女の手による3カウント、3、2、1、ドアを開ける。フラッシュバンが弧を描く。炸裂。

 瞬間、銀髪の少女が三つ編みと猫のような尾をを棚引かせて室内に突っ込む。手本のようなダイナミック・エントリー。室内にいる人物達はフラッシュバンにたたらを踏み、反応できない。銀髪の少女は内部の人間を一瞬の内に識別し、持っているP90をショート・バースト。5.7㎜の弾丸は着弾と同時に放電、直撃した人物をノックアウトする。

 肆四式対人電撃弾は、スリップリングとライフリングを利用して発電した電力を着弾した対象に放つ非殺傷弾頭だ。以前は対怪異に特化していた八咫烏だが、とある一件以降はこうして対人向け装備の開発も進められていた。それは、年端もいかない少女達を人殺しにさせないための、意地の結晶だった。

 それに続いて突入した隊員も、対人電撃弾を室内に撃ち放つ。数瞬の内に室内は制圧された。各隊員からクリアの報告が上がる。

「よし、気絶した人を拘束して。保護対象が居ないか捜索を」

 という銀髪の少女の言葉は、通信に遮られた。

「すみません隊長!保護対象を逃しました!敵の数は3、そちらに向かってます!」

「了解、対応します」

 隊長と呼ばれた銀髪の少女が端的に答え、事務所の外へと飛び出す。それに他の隊員達も続く。ブリーフィングで頭に叩き込んだ別棟からこちらに来る経路を思い起こしながら、各員が相互にカバーし合える位置取りで迎え撃つ準備をする。

 銀髪の少女はドアに比較的近いトラックにカバーを取り、敵と保護対象が来るのを待つ。

 数秒後、ドアは開け放たれた。銀髪の少女が警告するよりも先にフルオートの銃撃がドアから少女達を襲った。なかばめくら撃ちだが、工場内に飛び散る火花と跳弾の音は、それが十分に人一人を殺傷せしめるエネルギーを有していることを雄弁に語っている。頭を抑えられた少女達は撃ち返せない。銀髪の少女はトラックの荷台とフレームの間から様子を伺う。

「さっさとガキ乗せて出せ!!」

 ベルトリンクで繋がれた汎用機関銃を乱射する半妖が叫び、後ろからさらに二人の男、一人は赤髪ピアス、もう一人は金髪のサングラス。さらに彼らに手を引かれる一人の少女。男たちの手には短機関銃が握られており、少女は青みがかった薄紫の髪を一つにまとめ、首元にも薄紫の鱗のようなものが表出している。その口には口枷が嵌められていた。

 男の一人がトラックのドアを開け、少女を無理矢理押し込むと、、短機関銃を持った男達はトラックに乗り込み、エンジンを掛ける。すぐさまアクセルを踏み込み、シャッターを突き破りながら脱出を図る。

 機関銃を撃っていた半妖が、撃ち切ったそれを投げ捨てトラックに飛び乗ろうとする。だがその隙を少女達は見逃さない。対人電撃弾を打ち込み、その行動をストップさせた。

 トラックは走り去ってゆく。このままでは少女は連れ去られる。ならば、と、銀髪の少女は即断する。

「追います。ここは任せます!」

 了解、の返事を背中に受けながら、銀髪の少女は発条のように駆け出した。




 廃工場は山間にあった。つまりそれは、一般道に出るためには何度もカーブを曲がり、ゆっくりと降りていく必要があるということだ。

 少女を押し込んだ男たちは悪態を吐きながら、最大限の速度を出してカーブを曲がる。焦って横転でもしようものなら、それこそ目も当てられない。

「クソが、バケモノのガキ一人のためにこんな目に」

 助手席に座るサングラスの男は、中央の席の少女に短機関銃銃口を突きつけながらぼやく。

 少女はというと、銃を突きつけられてなお抵抗することなく、荒い運転に揺られている。それがさらに助手席の男が不気味に感じる点でもあった。

「そう言うな。ガキとオマケを連れてきゃ良いだけ、あとは札束貰って豪遊三昧さ」

 ハンドルを握る赤髪ピアスの男がのんきに答え、助手席のサングラスがそれに「あのなぁ」と口を開いた時だった。

 ごつん、とトラックの上から音。何かが落ちてきたような音だったが、このような山の中では折れた枝が降ってくることなど珍しいことではない。外の様子を伺おうとして、助手席の男は左の窓から外を見ようとした。

 窓に映るのはすらりとした脚だった。タイツに包まれたその脚は、このような場面で見ることが無ければ撫でまわしたくなるほどに煽情的だ。ただし今は、その膝に頑健なプロテクターが装備されており、さらにそれはこちらに向かって来ている。

「は」

 サングラスの男は間抜けな声を出すことしかできないまま、それが迫ってくるのを見ていた。両膝がガラスを捉え、砕け散る。車用ガラスは割れた時でも鋭利な破片にならないように工夫されている。だが、その頑丈なガラスを破壊するほどの威力を持った両膝が、その勢いのまま男の顔面に叩きつけられた。

「ぐぁぇ」

 サングラスの男が気絶し、中央の席に押し込められていた少女はようやく反応らしい反応を見せた。割られた窓の向こうに銀髪の少女の姿を確認して、驚きに目を見開く。

 銀髪の少女の身体能力は高い。半妖由来のそれは人の身体能力をはるかに超えているだろう。だがしかし、それは車と並走して追いかけられるほどのモノではない。ならばどのようにして彼女は追いついたのか。

 単純なことではあった。カーブを何度も曲がる必要がある車に対し、銀髪の少女は道なりに進まなかった。代わりに道路脇に何本も生えている木の上を足場にして直線で駆けたのだ。常人には不可能な移動方法を、彼女はその身に宿る猫又のしなやかさで可能にした。

「助けに来たよ!」

 ドア下のステップを足場に、銀髪の少女が中央の席の少女に向けて叫ぶ。同時に、赤髪ピアスの男が短機関銃を銀髪の少女に向けた。

「伏せて!」

 銀髪の少女が言うや否や、フルオート射撃が放たれる。青髪の少女はその声に反射的に伏せる。

 男の手に握られた東欧製のコンパクトなそれは片手でも十分に扱うことが可能だった。しかし銀髪の少女は、屋根上に逃れることでその射撃を回避する。

「クソがァ!!」

 男は弾切れになった短機関銃を投げ捨てると、コンソールに設置されたボタンを押した。 それは非常時に押すようにと伝えられていたボタンだった。

 荷台から、雄叫びが聞こえた。

「何!?」

 屋根上に退避した銀髪の少女は荷台に注意を払う。何が起きるか予測が付かないからだ。 P90を油断なく構え、迎撃の姿勢。

 しかしそれは真正面から破られた。荷台の天板を突き破って飛び出して来たのは獣の剛腕。銀髪の少女は咄嗟に身を仰け反らせて回避。しかし獣の勢いは止まらない。そのまま全身で銀髪の少女に向けて突撃。流石の二撃目は避けきれず、銀髪の少女の体を獣の体が掠める。そのまま銀髪の少女の体はトラックの上から弾き落とされる。咄嗟の受け身でダメージを軽減。だが、トラックは止まることなく次のカーブを曲がり、消える。

 そして、熊のような巨躯を誇る怪異は、明らかに敵意を剝き出しにして銀髪の少女を見据える。突撃の気配を察知して、銀髪の少女はP90をフルオートで撃ち放った。しかし、対人用の電撃弾では怪異に対する効果は薄い。50発近い弾丸を撃ち込んだにも関わらず、怪異の突撃は止まる気配を見せない。

 銀髪の少女はP90をスリングで背中にやると、腰に履いた刀の柄に手を伸ばした。手を掛け、抜かない。

 代わりに彼女は、真言を唱え始めた。

「やをら目覚め給へ、我が内に宿りし双尾の神よ――」

 怪異の突撃を、少女はサイドステップで回避。一撃目をいなす。怪異は避けられたとみるや反転し、再度突撃。銀髪の少女の詠唱は止まらない。

「影は風となり、声は月に届かん――」

 再度の突撃も、彼女には届かない。怪異は突撃ではなく、インファイトを選択する。銀髪の少女の前に立ちはだかるように腕を広げ威嚇し、その双腕を振るう。

 彼女はそれを最低限度のスウェイで回避。焦れた怪異が、己の双腕を掲げ、銀髪の少女を地面の染みにせんと叩きつけようとする。

「今ぞ請ふ、汝が力を賜ひて、我を守り、道を示したまへ……!!!」

 銀髪の少女が、鯉口を切った。一閃。

 怪異が望んだ現象は起こらなかった。それどころか、その腕は消えている。理解が追い付いていない怪異の視界に、ぼとりと彼の両腕が落ちた。

 銀髪の少女は、刀を振り抜いた姿勢で静止。その刀身は月夜に煌めく。ただ光を反射しているのではない。流し込まれた霊力によって、極限までその切れ味と速度を向上させた参八式退魔刀が放つ霊力の輝き。その一撃によって、怪異の両腕は切断された。

 未だに放心状態の怪異に対して、銀髪の少女は容赦なく刀を振るった。頸を切断し、心臓を目掛けて、刀を寝かせ、刺突。

 怪異を倒すためには核と呼ばれる部分を破壊する必要がある。熊のような怪異の核の位置は正確につかめているわけではなかったが、それでも銀髪の少女はその場所を推測し、急所になるであろう二点を正確に攻撃した。銀髪の少女は後ろに飛びのくと油断なく怪異を睨みつけ、刀を構える。

 怪異ははじめ、自分の状況が理解できていないかのように静止し、やがてゆっくりと地面に倒れ伏すと、その妖力は空中に霧散し、姿を消した。

 銀髪の少女は納刀すると、通信端末に手を伸ばした。

「申し訳ありません、課長、救助対象の乗ったトラックを逃しました」

「わかった。ここは一度引こう」

 すぐさま通信が返ってきた。津守は冷静な声で撤退を指示する。

「しかし、救助対象は……」

「心配するな、アイリ」

 声を上げる銀髪の少女――神山アイリに対して、津守は告げる。

「もう手は打ってある。リベンジの時を待て」




 数日後、魔特六課八咫烏 会議室

「時間になりました。全員揃っていますね」

 立川ミコトは、会議室に揃ったメンバーを見ながら告げた。それを合図に、世間話に興じていた他の少女達の目線が一斉に立川の元に集中する。会議室に設置されている椅子は六脚すべてが使用されている。席に座るその全員が女性であり、少女と言っていい年齢から、大学卒業程度までの年齢層で占められていた。

「それではこれより、先日より東京湾に停泊している外航クルーズ客船、イエマンジャⅡの怪異案件被疑に関する会議を始めます。松岡さん」

「はい」

 松岡クニコ、ハーフリム眼鏡で長い三つ編みの女性が資料を手に返事をした。目には深い隈が刻まれているが、そこに疲労の色はなく、むしろエネルギッシュさを感じさせる。立川の隣に立っていた彼女は、モニタに今回の事件の概要を表示させた。

「今回の事件は波止場の店長さんより情報を提供して頂きました。最近、触穢区表層でスカウトされる人を多く見かける……と」

「スカウトだぁ?」

 疑問の声を上げたのは真希島カンナだ。以前まではロングだったピンクの髪をショートに切りそろえ、左目に眼帯をした彼女は椅子の背に寄りかかりながら松岡の方を見る。その傍らには一振りの日本刀が立てかけられている。松岡はその疑問の声に返答した。

「はい。なんでも客船に乗るコンパニオンを探している……とのことで、それを小耳に挟んだ店長さんが独自に調査をしていました。その結果、コンパニオンを雇用しているのが先に名前の挙がった客船、イエマンジャⅡとなります」

 モニタにイエマンジャⅡの三面図と概要が表示される。表示されるデータだけでもトン数は15万トンに迫り、豪華客船と呼ぶに相応しい威容を示す。ひゅう、と真希島は口笛を吹いた。

「なんだ随分とデカい船じゃねぇか。ここに就職出来るってンなら悪くないンじゃねぇの?」

「随分とのんきな感想だね、カンナ」

 真希島の言葉に水を差したノア・メルヴィレイは伸びをしながら、カンナを見る。銀髪で小柄、眼鏡を掛け、首元には古風な十字のアクセサリーを纏った彼女は、からかうような視線を向けながら言葉を続ける。

「半妖、怪異塗れの触穢区。普通の人間は壁で入り込めないようになっているし、普通じゃない人間なら近寄らないか、近寄るなら目的がある場合だ。そんなところで求人?どう考えても怪しいでしょ」

「んなこと分かってるっての。イギリスはジョークの本場じゃなかったのか?」

「ジョークだってんなら落第だ。ブリテンズ・ゴッドを目指してるなら考え直すことをおススメするよ」

「そこ二人、静かにお願いします。続きを」

 止まることなく続くかに思えた応酬を立川が止め、松岡に続きを促す。松岡は愛想笑いを浮かべてから、続きを話し始めた。

「メルヴィレイさんもご指摘の通り、実際に半妖や怪異を雇用することはあまり事例としては多くありません。さらに海上保安庁から、津守課長経由で件の船舶の不審な点を共有していただいてます。船の積載に対して、航行速度が遅く、喫水が深いという指摘ですね」

「だけど、それは船の状況次第で変わりませんか?」

 少し癖のあるショートヘアの少女が手を上げて質問した。黒猫を思わせる容姿に、さらにそれを強調するかのように、頭には猫のような耳が生えている。松岡はその質問に答える。

「黒氏さん、確かにそのとおりですですが、船を運行する際に守られるべき積載の基準から見ると、それを超過しているように思える上、運行の上でそれに関する通知がないのが不審である……というのが、海上保安庁からの見解です」

 そうして松岡は黒氏リンを見た。黒氏はひとまず納得した様子で頷くと、松岡に続きを促す。

「そこで我々は8時間前、パトロール中のソニヤさんに連絡し、彼女のカメラで船影を撮影してきてもらいました。それがこちらです」

 モニタにイエマンジャⅡの写真が映される。ソニヤのカメラは霊的なモノをよく捉えると評判のシロモノである。一見するとただの船影写真だが、そこには霊力の残滓が黒い靄のように映っている。甲板上や客室は比較的薄く、船底に近づくにつれその靄は濃くなっていた。

「ソニヤさんの写真、それから各種端末の霊力検知器にも反応が確認されました」

「てことは100%怪異案件でしょ?だったらさ、もう突入してその原因を暴いちゃう?」

 一対の角が目を引く彼女は角館リン。悪戯っぽく笑うその姿は、角の存在も相まって小悪魔めいて見える。

「いいえ、実はそれが難しい事情があります」

 松岡が角館の言葉を諫め、角館は続きを待つ。

「見ての通り、イエマンジャⅡは巨大な外航クルーズ船です。その乗客は各界のVIP等も含まれています。そんな船に強硬手段を取れば国際問題になりかねません。先の海保が臨検できなかったのもそういう事情からでしょう」

 松岡が切り替えた画面には、乗客の名簿と顔写真が映っている。各国の要人に近しい立場の人間や、SNSで有名なインフルエンサー、さらにはイエマンジャⅡを造船した会社の人間達まで、さまざまな人種がこの船に乗っていることがうかがい知れる。

「事情はわかりました」

 銀髪を長い三つ編みにまとめた少女が切り出した。頭には猫めいた耳がぴょこんと生え、その赤い瞳は松岡を真っ直ぐ見つめる。

「それで、策はあるんですか?松岡さん」 

「はい、もちろん、隊長」

 そう言って松岡は少女に微笑みを返した。

 この銀髪の少女こそがここに居る者を統べる、魔特六課・八咫烏の隊長、神山アイリだ。




「……で、その策が、これですか?」

 問いかけた神山の表情は怒りと羞恥が半々と言った様子で、耳まで顔を赤らめている。そして、硬く握りこぶしを作って胸の前に持ってきて、その怒りをこらえているようでもあった。

 彼女の今の服装は、端的に言えばバニーガールであった。

 彼女の銀髪に合わせて白を基調にしたハイレグタイプのボディスーツ。元からの猫耳に加え、ウサギの耳を模したヘアバンド。ウエストにはポーチがいくつかあるベルト。露出した肩に、黒いタイツに覆われたラインは訓練と実戦で鍛え上げられ引き締まりつつ、しかし同時に少女らしい柔らかさも感じさせた。

「はい!」

 問われた松岡ははっきりと返事をした。立川は無表情で天を仰ぎ、部下の正気を疑ったが、同時にそれが合理的であることも知っていたので何も言わなかった。

「いいですか、今回の任務は潜入が必要になります。とはいえ、我々には完全なステルス環境を提供する装備はありません。光学迷彩は試作品を盗られてしまいましたし、個人用認識阻害の術式こそありますが、効果時間の不安定さや観測者の霊力によっては通じないこともあり、不安定です。さらに、イエマンジャⅡにはバニーガールが常駐しているという情報を入手できています。これが一番確実なんです」

「でも、肆〇式があるじゃないですか!」

 肆〇式とは、八咫烏が所有する広域結界装置である。二人一組で運用する必要こそあるが、直径1kmに渡る認識阻害効果を発揮できる。一般人から可能な限り怪異的存在を認識させないようにする八咫烏の重要な装備であり、人口密集地等で運用されるものでもあった。

「もちろん、検討しています。が、まだ被疑でしかない以上、肆〇式を持ち出す承認が降りない可能性の方が高いです」

 そう言われてしまえば、神山に返す言葉はない。隊長権限で持ち出すことはできるだろうが、緊急時でもない限りその権限を濫用すれば組織として立ちいかないことも理解していた。

「それだけじゃありません。これはK.A.I.N.T.にも評価されてる作戦なんです。松岡さん、もう少し説明を」

「あっ、そうですね」

 立川に言われて松岡はディスプレイにK.A.I.N.T.――KAII. Accumulation. Intelligence. Network. Terminal.の略称であり、八咫烏が誇る対怪異分析システムが分析した結果を表示した。

「これはK.A.I.N.T.による分析結果です。SNSやブログ、Vlog等から収集した情報なのですが……気になる投稿がいくつか存在します」

 松岡がいくつか挙げた例は、いずれもバニーコンパニオンが入れるとは思えない操舵室や機関室にコンパニオンの案内で入った、というモノだった。

「不自然に思いませんか?操舵室や機関室の見学ならば専門のスタッフにやらせればいい。というのにバニーガールが案内している……。さらに、スタッフのモノと思われるSNSがこちらです」

 そう言って示された投稿は、バニーコンパニオンの案内でVIPエリアに入っていくのを見た、というものだった。

「つまり、これらの投稿から、バニーコンパニオンは船内で広いアクセス権を持っている……という風に推測できます」

「だけどそれだけでは推測です。OSINTとしては良く出来ていますが、確定じゃない……そうですね?」

 そう指摘した立川を松岡は首肯した。そして続ける。

「なので、K.A.I.N.T.による電子戦を行いました」

 それに異を唱える隊員は居ない。通常の警察組織であれば、サイバー攻撃による捜査は違法であり、許される行いではない。だが、人知れず強大な怪異を未然に防ぐのが最優先目的の八咫烏においては、さながら“殺しのライセンス”のような特権が与えられていた。

「船内のアクセスログを解析した結果、バニーコンパニオンとして登録されている人物は、船内のあらゆる場所に移動しているという情報を得られました。それらの情報を元に、偽造IDも作成してあります。K.A.I.N.T.の推測では、イエマンジャⅡを運航している会社の専門家による調査が行われるまでは……つまり、本作戦中に偽造IDが破られる可能性は少ない、とのことです」

 要約すると、と前置いて松岡は告げた。

「バニー衣装と偽造IDを用いた潜入調査、これらが最もイエマンジャⅡの深部にたどり着ける可能性が高いものと考えます」

 神山は松岡の隣の立川を見た。立川は静かに首を横に振った。それは、彼女もこの作戦が最も有効である考えていることをモノ言わずに語っていた。

 

「でも、これじゃ参八式のようには動けないのでは……」

 そう疑念を提示したのは黒氏だ。こちらは神山と対になるように黒基調のバニーガール姿である。神山のそれに比べ、ボディスーツの布面積自体は多いものの、代わりと言わんばかりに胸元に穴が開けられたデザインをしている。恥じらう黒氏の表情も相まって、また別の方向での煽情感の演出に成功していた。

「そこに関しても大丈夫です。なんせこの衣装は鶴子さん謹製ですからね。見た目と違ってしっかりと動けるように作られています。さらに参八式と同程度の対霊障性能に、クラスⅡA相当の防弾性、防刃性能まであります」

 そう説明されて黒氏は考え込む。参八式霊障防護祓衣は対霊障防護に特化した正式採用装備であり、いまなお八咫烏において使用されている「制服」だ。神山達は一つ新しい世代の参八式・弐型を標準装備としているため、普段の装備からすれば防御力は落ちる。とはいえ、前型と同等の防御力かつ動作にも問題がないとなれば、性能面において文句の付け所はなかった。

「さらに加えて、カチューシャ部分にはD.N.I.機能が備わっています。考えただけでテキストを打つことができますから、もし話せない状況でもテキストをK.A.I.N.T.で受信し、こちらの判断で現場の皆さんにお伝えすることが出来ます」

 

 一層考え込む黒氏と神山に対して声を掛けたのは真希島だ

「いいんじゃねぇか?似合ってるし」

「そんなこと言って、ホントは可愛いから自分で着たいとか思ってるんじゃないの」

「うっせ」

 メルヴィレイの茶々に軽い肘鉄で返しながら、二人ともバニー姿の神山と黒氏を眺めながらくつくつと笑う。

「って、なんであの二人は違う衣装なんですか!?」

 神山が松岡に食ってかかる。真希島とメルヴィレイの衣装はバニーではなく、白いシャツにスラックス、そして黒いベスト、いわゆるバーメイド姿だった。

 それはですね、と松岡が説明する。

「全員がひとところに集中して調査しても効率が悪いですから、ツーマンセルで調査範囲を広げるほうが良いでしょう?それに、バニーのIDがあれば4人で制限区域に立ち入ることも可能です」

「理屈は分かりますが……」

「まぁまぁ、いいんじゃない?」

 神山の両肩に手を添えながら割り込んだのは角館だ

「悪くない作戦なのはミコトちゃんとコッコちゃんが証明済み。それに、似合ってるのは本当だよ、アイリ」

 そう言われて神山は気恥ずかしそうに顔を逸らした。今までの羞恥とは違う恥ずかしさの気配を感じ取った角館はふふ、と笑うと、松岡の方を向いて尋ねる。

「ね、コッコちゃん、これ私の分はないの?」

「ごめんなさい、用意しようと思ったんですけど、体型が合わなくて……」

 瞬間、アイリの顔がぐるりと松岡を見た。ひっ、と松岡は小さく悲鳴を上げる。

「松岡隊員、この作戦が終わったらあなたには同じ装備で訓練に参加してもらいます。いいですね?」

「えっ」

「では解散、各員詳細は目を通しておいてください。では、予定時刻に集合」

 神山はそう言って会議を切り上げた。




 更衣室で制服に着替えた後、神山は複雑な気持ちを抱きながら、ロッカーにバニースーツを押し込んだ。閉じて鍵を掛けて、ため息を吐く。有用なことは分かる。だが、どうにも気持ちが整理しきれないというのが今回の作戦に対しての感情だった。

 そして、それは作戦の内容に関してだけではない。高尾市での作戦行動中に助けられなかった少女。鱗状の形質が表出した彼女の表情が忘れられない。少女の目にようやく宿った希望を、自分は裏切った。むろんそれは結果論ではあったが、神山の心には棘として残っている。

「アイリ隊長」

 そんなアイリに声を掛けたのは立川ミコトだった。

「津守課長からの言伝があります。その、あの場で言うよりも後の方がいいだろうと思いまして」

「課長から?」

 津守課長は、現在八咫烏本部には不在だった。京都支部との会議と錬成を兼ねた出張で、即応部隊の人員を引き連れて京都へと向かっていたからだ。今、八咫烏の権限は概ね神山が掌握している状況と言っていい。

「はい。……『リベンジの時だ、アイリ』、と」

 その言葉に神山は背筋の伸びる思いがした。自分が助けられなかったあの少女が、今から向かう船に居るかもしれないということを伝える言葉を、神山は一度目を瞑り、それから開いた。

「伝言ありがとうございます。ミコトさん。今回の作戦は、絶対成功させましょう」

「えぇ、私も、やられっぱなしは性に合いませんから」

 そうして二人は、決意を胸に燃やす。




「ラビット01からキャロル・リーダーへ、当該船舶への搭乗を完了しました。引き続き潜入を続けます。どうぞ」

「キャロル・リーダー了解。緊急時は無理をせず撤退してください」

「キャロル01からラビット各位へ、バックアップは準備してるから安心してね」

 簡潔なやり取りで無線のやり取りは完了した。無線機をベルトのポーチに戻したアイリは周囲の四人を確認する。ラビットの臨時コールサインを割り振られた神山アイリ、黒氏リン、真希島カンナ、ノア・メルヴィレイの四名は、それぞれの顔を確認し合った後、一度頷いてから事前に示し合わせたポイントへとツーマンセルに別れて歩み出した。

 神山と組むのは黒氏だ。船内は高級ホテルそのものであり、深いワインレッドの絨毯は一歩歩くごとに足首まで沈み込みそうな程に柔らかい。壁にはクルミの板材のパネルが張られ、控えめなガラス証明がそれらを暖かく照らす。贅沢な生活にはあまり縁がなかった神山や黒氏にさえ、その上質さは伝わっていた。

「しかし、すごい船ですね。こんなに華やかだとは」

 黒氏が思わずそんな言葉を漏らす。

「ええ、でも、それに気を盗られるなんてことは厳禁ですよ」

「もちろん」

 そうして二人は頷き合う。しばらく廊下を歩き、数人とすれ違うも、怪しまれる様子はない。どころか同じようなバニースーツ姿の人物とすれ違うことも少なくなかった。神山や黒氏の頭の猫めいた耳でさえ、なにかのコスプレか、あるいはそういう趣味として受け入れられていたし、他のバニーの頭部にも神山達のような耳や角館のような角があることも珍しくなかった。

 ひとまず自分達が目立っていないことに黒氏は安堵のため息を吐いた。

「やはりあの情報は正確だったということでしょうか」

「今のところは……そうですね」

 松岡の作戦が上手くいっていることに二人は感謝しながら、メインホールへと歩を進める。たどり着いた大きな樫の木のドアは繊細な彫刻と金の装飾がこれでもかと飾られており、ここがメインホールであるということを静かに主張していた。

 神山は黒氏と目を合わせ、黒氏もそれに応じて頷く。重厚なドアを開けると、まず二人を出迎えたのは三階を吹き抜けにした広々とした空間だった。実用性を度外視したようなシャンデリアがいくつも吊り下げられ室内を照らしながらその権威を誇り、そこかしこに芸術的な装飾が施されている。中央にはステージが用意され、そこでは楽団によるパフォーマンスが行われていた。それを取り囲むように人々が歓談に興じている。

 室内に反比例するかのように目につくのは人々の振る舞いだ。客層は男性がメインで、その間を給仕とバニーコンパニオンが歩き回っている。客の視線はバニーの目に吸い寄せられ、その距離感は異様に近く感じられる。本来ならば上質な旅のひとときを作るはずであるホールは、それだけで急に品のない空間に感じられた。

「……不健全、ですね」

 思わず小声で神山は呟き、眉をひそめた。黒氏は同意するように小さく頷き

「あまり関わり合いにならないように、遠巻きに聞こえてくる話を収集しましょう。私達の聞いている音声はK.A.I.N.T.やキャロル側でも解析しているハズです」

「そのとおりですね、では、その手筈で」

 二人は一旦その場で別れる。神山と黒氏は目立たず、しかし人々の話が聞こえてくる距離感を維持する。

 神山はざっと客の顔に目を走らせた。この作戦の前に目を通した資料にあった顔が数人か確認できる。神山は脳内にそれをきっちりと書き留めながら、それとなく話に聞き耳を立てた。

 主な話はやはりバニーコンパニオンたちについてだった。半妖というものは普通の社会生活を送る上では滅多に目にすることはないし、それを覆い隠すのが神山達の仕事だ。だというのに、この空間で歓談する者たちはそれをすこし変わった趣向の見世物程度にしかとらえていないようだった。自分たちの同族が見世物にされていることに、神山は歯噛みする気持ちを覚える。

 とはいえ、ここに居る半妖はあくまで自らの意志で働きに来ている身だ。それを咎めることはたとえ八咫烏といえども出来る事ではない、ということも神山は理解していた。

 あくまで表面上は平静を装い、しかし内には怒りを秘めながら、耳をそばだてて情報を集める。

「そういえば、明日開かれるオークションの目玉、貴方は御存じですかな?」

 ぴくり、その言葉に神山の耳が動いた。聞こえたのはたまたまだったが、神山の勘はその情報こそ、今一番必要としているものであると告げていた。

「あぁ、なんでも半妖の少女であるとか。人魚のような見た目と変わった力を持っていると聞き及んでいます」

 神山は確信した。ここで行われているのは人身売買だ、それも半妖の。

 阻止せねばならない。神山はD.N.I.越しに、本部の人員と連絡を取る。

『ラビット01よりキャロルへ。今の会話は聞こえていましたか?』

『キャロル02よりラビット01へ、こちらでも聞こえています』

 松岡の声で返答が返ってくる。松岡は続けた。

『その少女がどの区画に隠されているかは不明です。現在入手していたイエマンジャⅡの設計図面を元に、K.A.I.N.T.による分析を進めているところですが……』

 歯切れは良くない。これだけの規模の客船だ。正規に存在する区画に加え、隠されている区画が存在する可能性も十分に考えられる。神山はじれったい思いに駆られながらも、松岡に返事した。

『ラビット01、了解です、そちらでも解析を進めてください。我々の方でもう少し調査を進めます』

『了解しました』

 それを最後に無線は切れる。神山は思案した。最も確実な方法は、何かしらの方法でこの船に詳しい人物に取り入ることだ。そうすれば、明日の”商品”となっている少女達が今どこに居るのかを突き止めることが出来る。とすれば、次はその人物を探して――。

 

 というタイミングで、神山の臀部を男の手が撫であげた。思わず悲鳴を上げそうになりながら、神山はばっと後ろを振り向く。

 視線の先には一人の男。高級そうなスーツは恰幅の良い体格をなんとか包んでいるような有様で、さらに神山に注がれた下品な視線はその第一印象を最悪にした。

 しかし同時に、神山の長年培われた八咫烏隊員としての頭脳は、彼の姿を記憶から掘り起こしていた。水戸 辰蔵。イエマンジャⅡを建造した造船会社の会長、その人が今、神山の目の前にいる。彼はゆっくりと口を開いた。

「いやぁ、失礼」

 一片たりともそうは思ってなさそうな口ぶりの水戸は、視線を神山の足先から耳の先まで舐めるように動かす。生理的な嫌悪感すら感じながらも、神山は一応の相槌を打つ。

「どうかな、キミさえ良ければ、此処じゃない場所で二人、話でもしようじゃないか」

 言われた神山は断ろうとして、考えた。ここで彼に取り入ることが出来れば、イエマンジャⅡの情報に一歩近づくのではないか。少なくとも、現状で聞き耳を立てているよりはよほど良い。

 神山はその言葉にこくり、と頷いた。




「ハァ!?あのバカアイリ……」

 真希島は思わずそう呟いた。彼女に声を掛けていた男は、元から上の空がちだった彼女が急に呟いた言葉に疑問符を浮かべるも、なんとか彼女を口説こうと言葉を続けようとする。それを、二人よりも一回り小さな影が遮った。

「悪いね、彼女の友達の父の妻の母の孫娘が緊急事態なんだ、ちょっと席を外させてもらうよ」

 メルヴィレイは男をそう煙に巻くと、真希島を引っ張ってバーカウンターを後にした。従業員用の扉を抜けて、船内の最短ルートを端末上に示しながら、二人は走る。

「まったくアイツは、自分の事を顧みなさすぎる」

 真希島は愚痴りながらも足は止めず、懐を確かめた。ベストの裏に違和感なく縫い込まれたコンシールド・ホルスターには彼女が用いるM9とその予備弾倉、そしてシースに収められたコンバットナイフが隠されている。それらが問題なく仕込まれていることを確認すると、メルヴィレイの方を見た。

「まぁ、一直線なのは嫌いじゃないよ。良いか悪いかは時と場合によるけどね」

メルヴィレイも同じく手短に装備を確認。愛用の細部までカスタムが施されたキンバ―と、いくつかの小型輸血パックが問題なく納められている。

「遅くなりました!」

 続いてそこに黒氏が合流した。試着した際は恥じらっていたバニースーツ姿も、緊急事態の今となっては気にしていられない様子だ。

「ごめんなさい、アイリ隊長を止められませんでした」

 走りながら謝罪する黒氏に対し、真希島はフッと鼻で笑って

「いいさ、アイツだって大人しく手籠めにされるタマじゃないだろ」

「そのとおり。でも急いだほうが良いね。こういう時、日本じゃ薄い本みたいなことになるって言うんだろ?隊長のあられもない姿を見るのは忍びない」

 メルヴィレイの軽口に真希島は笑い、黒氏は眉根を寄せた。

 

 

 VIPルームは、客室エリアの最上階、その1フロアを真ん中に通る通路が隔て、さらに3つに分けて合計6部屋存在する。最も、現在はその中央の一室のみが使われており、そのほかのVIPルームは空室となっている。

 水戸の部屋の前には黒いスーツに身を包み、サングラスで目元を隠した男が二人。ドアの左右を守るように配置され、さらに一人が通路を歩いて巡回している。通路から隠密に侵入することは、ほぼほぼ不可能と言ってよい警備体制だった。

 エレベーターが到着する音が鳴り響き、来客を告げた。巡回していた黒服がそちらを振り返り警戒すると、中からは三人の女が現る。二人は少女と言ってよい出で立ちで、一人だけ背の高い女は眼帯を付けている。

 VIPから誰かを呼んだという話は来ていなかった。

 女たちがVIPルーム前まで歩み寄ろうとするのを、巡回の黒服が止めた。

「待て、何の用だ」

「あれ、話は通ってないのかな。VIPルームに追加のコンパニオンと、バーメイドを呼べって言われて来たんだけど」

 背の低い丸眼鏡の少女――ノア・メルヴィレイが答えた。やはりそのような連絡は来ていない、が、念のために雇い主に確認の連絡を入れることにした。問題が起きても、所詮女子供だ。いざとなれば恫喝して追い払えばよいと警備の男は考えていた。

「少し待て」

 男がそう言って端末に手を伸ばす。その瞬間、眼帯の女、真希島カンナが動いた。人間には不可能なスピードで、足を取られそうな豪奢なカーペットをものともせず力強く蹴り、ドア前まで接近。

 驚いたのはドア前の警備をしていた黒服達だ。慌ててジャケットの内側に収められた拳銃を引き抜こうとして――まず一人目が真希島の蹴りの餌食となる。彼女の身体強化術式の速度をすべて打ち込まれた黒服は、なすすべもなく地に伏せる。

 もう一人のドア前の黒服は、なんとか拳銃を引き抜いた。発砲しようとして、その前に彼の体を衝撃と電撃が襲い、頽れた。黒氏の持つワルサーPDPから硝煙が立ち上る。肆四式対人電撃弾による射撃だ。

 この弾頭には構造上の欠点がある。スリップリングを回転させて発電を行う以上、どうしても弾丸そのものの回転は不十分となり、命中精度に悪影響を与える。しかし黒氏は、その命中精度に不安がある弾頭と、有効射程7mとも言われる拳銃の組み合わせで、30mの距離を正確に撃ち抜いた。

 何が起きたか理解が追い付いていない巡回の黒服目掛けて、メルヴィレイは遠慮なくキンバ―の対人電撃弾を撃ち込んだ。そうして最後の一人をクリアすると、三人はドアに駆け寄る。三人は目を合わせると、真希島がドアを蹴破り、そのまま三人は部屋の中に雪崩れ込んだ。

「無事か!アイリ!」

 突入した三人の視線の先には、床の上に這いつくばっている水戸と、その背中に拳銃を突きつけ、手錠で水戸を拘束せんとしている神山の姿があった。

 四人の間に一瞬沈黙が訪れ、メルヴィレイがそれを破った。

「なるほどなるほど、我らが隊長はどうやら女王様だったみたいだ。これは、薄い本が厚くなる、ってヤツかな?」

「違うだろ」「違うと思います」

 真希島と黒氏は思わず突っ込みを入れた。神山はからかわれて耳まで真っ赤にしていた。



 事の顛末は、つまりこうだ。

 水戸に従った神山は、そのまま水戸の個室に招待された。もちろん水戸には神山を手籠めにしてやろうという下心があったし、神山はそれに気づいても居た。しかし、素直にオークションについて話すというのなら、それまでのコトはしないつもりでもいた。

 人払いをした後、水戸は神山に近づき触れようとした。そして神山は、一切の躊躇なく彼を投げ飛ばした。高級な絨毯は太った水戸の体の衝撃を吸収し、派手な音を抑えるのに役に立った。そのまま神山は水戸をうつ伏せにし、後ろ手に手錠を掛けようとした――というところで、他の三人の隊員が到着した。

 

「……ってのが現状なワケだね」

 そう言いながら、メルヴィレイは意識を失った黒服を引きずり、手足を縛った。

「となると、囚われている方の情報を聞き出す必要がありますね、真希島さん、隊長、お願いできますか。その間に我々の方で他の証拠がないか、調べておきます」

 苦々しげな黒氏の言葉に真希島と神山は頷く。ベッドの上に座らされた水戸の元に向かった。

「お、お前ら一体何者なんだ!半妖の癖に!」

 その一言で神山以外の八咫烏の三人は、水戸に対する好感度を最底辺に設定した。言うまでもなく、神山のそれは既に最底辺となっている。

 真希島は一発殴りつけてやろうか、という勢いで水戸を睨みつけるが、神山はそれを手で制し、答えた。

「我々は公安対魔特務六課、八咫烏です。怪異と呼ばれるものに関する事件について調査、解決を行う法執行機関です」

 怪異、という言葉が出てきたことに、水戸は肩を震わせた。この男は知っている。そう確信を深めながら、神山は言葉を続ける。

「この船には嫌疑が掛けられています。曰く、半妖の人物を積極的に雇用している。曰く、通常の船には乗せられない積み荷が乗せられている。曰く、半妖が”商品”として扱われている……御存じですよね、水戸会長」

 その言葉に水戸は答えない。黙っていれば時間は自身の味方である、と彼は考えているようだった。

「ま、そうやって黙ってればいいさ。いつまで黙っていられるかは見物だけどな」

 真希島はサブウェポンとして持ち歩いているナイフを抜いた。むき出しの実用品の刀身が、柔らかな光を受けて芸術品のようにきらめく。

「お、おい、警察は拷問できないだろ!」

「なんか勘違いしてるようだから教えてやるけど」

 真希島はおもちゃを弄る子供のような手つきで、ナイフをくるくると回しながら言った。

「アタシ達は警察に見えて、その実警察じゃない。怪異による事件、事故に対応するために存在する組織だ。アタシ達にはそれなりの権限が与えられている。意味、分かるよな」

 ぴたり、とナイフの刃が止まった。それは真っ直ぐ、水戸に突き付けられている。ひぃ、と息を飲む音。もちろんそれはブラフだが、真希島の冷たい言葉とナイフを玩具のように扱う姿は、水戸を説得するのに十分だった。

「素直に話してください。そうしていただければ、命の保証はします。罪も、日本の警察と司法によって裁かれることを約束します」

 真希島を抑えながら、神山は告げる。水戸はその言葉を聞いてすぐさま情けない声で自身の端末の場所を明かした。

 

 端末を水戸の生体認証で突破し、中身のデータを閲覧する。同時に八咫烏隊員に配布されている端末を直接接続し、吸い上げたデータはセキュリティチェックの後、K.A.I.N.T.によって分析される。K.A.I.N.T.はすぐさまイエマンジャⅡの船倉と機関部の間、隔壁と各種装置の合間を偽装して作られた秘匿船倉を見つけ出し、次いでそこまでのルートと、そこに囚われている”貨物”の情報、さらには警備人員の数と配置を瞬時にまとめ、隊員たちに提示する。

 貨物として扱われているのは、一人の少女だった。名はヴィオレッタ。高尾市の廃工場で出会った時と同じ、青紫の鱗が首元に表出している姿が確認出来る。表示されている情報によれば健康体ということで、神山は少し安堵した。

 だが、彼女が商品として扱われていることは、これで確定した。

 真希島は大きな舌打ちをして水戸を睨みつけ、黒氏は嫌悪に顔が歪む。普段飄々とした態度を崩さないメルヴィレイですらも、これを茶化す気にはなれなかった。

「き、貴様ら半妖は人ですらない、バケモノのなり損ないだろう!それを有効活用してやろうと言うのだから……!」

 真希島に睨みつけられた水戸が弁明のような繰り言を吐くが、その舌は途中で止まった。四人の殺意すら感じる視線に射竦められた彼は声にならない悲鳴を上げた。

 ち、と、真希島が再び舌打ちし、それから神山を見る。

「で、どうする?」

 問われた神山は考える。助けたい。もちろんその気持ちに偽りはない。だが、各所に配備された警備人員と一般人の存在がネックになる。

 ここに居る4名が熟練した隊員であろうと、騒動を起こした際に民間人がどうなるのか。警備を倒すだけならまだしも、彼女たちには弱者を守る使命があった。それが彼女達の足枷となる。

 かといって、ここで水戸を捕え、脱出した後装備を整えるのが得策かと言われるとそれもまた難しい。確かに一度引き、大部隊で以て強襲を仕掛ければ攻略そのものは容易い。だが、やはり一般人の多さという要素はネックだ。そのような環境下での戦闘は、大抵の八咫烏隊員に於いて想定されていない。

「……もどかしい」

 ぽつりと神山が呟いた。それに加えて、神山の胸中には別の思いもある。

 一刻も早く、彼女、ヴィオレッタを助けなければという使命感だ。それはともすれば状況を悪化させうるものでもあったが、彼女はそれを抱え込みすぎないという美徳も持ち合わせていた。

「メルヴィレイさん、意見を聞かせてください」

 指名されたのはメルヴィレイだ。彼女は隊員の中で最も合理的な手段を選ぶことに定評があった。真希島も黒氏もその人選に異を唱えることはない。メルヴィレイは口を開いた。

「隊長には悪いけど、ここは一旦引いたほうがいい。この船じゃ公海まで逃げることは出来ない。だったらその間に準備して、一般人に対する避難勧告を出して、ブラックホークとチヌークでヘリボーンでもしたほうが確実だろう?」

 メルヴィレイははっきりと断じた。少し俯き加減になる神山がメルヴィレイの視界に映る。神山自身でもそちらの方が合理的だと分かっているのだ。

「ただ――」

 メルヴィレイは言葉を続けた。

「もしも、私達4人がほぼ万全の状態で突入出来て、救助対象を安全に収容できる手段があるなら、それが一番速くて確実だろうね」

 私なら準備しておくけれど――という言葉は、イヤホンから聞こえるノイズに遮られた。続いて声が聞こえる。

「あー、あー、こちらキャロル01。聞こえてる?みんな」

 声の主は角館リンだ。全員が片耳に意識を向ける。彼女の無線の裏からは羽ばたきのような音が聞こえる。彼女は普段通りの、弾むような声で告げた。

「みんなにプレゼントを持ってきたよ、甲板まで来て」



 甲板に出た四人はまず、黒い海と遠くに光る港湾の光を見た。

 ついで、その闇と光を割くかのように飛ぶ機影が一つ。力強く回転するローターを持つ漆黒の機体は彼女達にとってよく見覚えのある機体だった。

 UH-60J ブラックホーク航空自衛隊から八咫烏に譲渡された経緯を持つ、八咫烏の貴重な航空戦力の一つだ。本来であれば側面に部隊章が描かれているが、秘匿性が重要視される八咫烏は部隊章一つと言えど容易に晒すわけにはいかない。よって今は、光学制御塗料がその部隊章を隠している。

「なんでブラックホークが……!?」

 そう疑問を呟く神山に、角館は答える。

「そろそろ必要になるんじゃないかなって思ってさ、準備してたってワケ。こんなこともあろうかと、ってね。ミコトちゃんを説得するのは苦労したよ」

「角舘さん、最終的には私が判断したんだから、そういうことは言わなくていいんです」

 笑う角舘に割り込んだのは立川だ。通信をそのまま続ける。

「本部に残留して動けるメンバーのうち、必要になりそうなメンバー……私、コンさん、角舘さん、松岡さん、イリーナさんを連れてきています。あとは、地上班としてLAVで出動させたメンバーも。こちらは後程到着する予定です」

「ありがとうございます。ミコトさん。でも、どうして……?」

 神山は問う。無線越しにふ、と笑った気配がして、立川が答えた。

「なに、角館さんもほかの隊員も、隊長ならきっと無理してでも助けにいくだろう、って言っていたから、私もそう思っただけですよ」




「コンさん、投射を開始します。機体の姿勢安定をお願いします。イリーナさん、アンカー・ガンの準備を」

「了解、射程ギリギリまでは近づくよ」

「了解。こちらの準備は整っているわ」

 三つ編みの女、松岡が指示を出す。それに答えるのは二人。狐のような耳を持ち、それを阻害しないように改造されたFHG-2ヘルメットを被ったヘリパイロットの火ノ空コンと、巨大な碇状の固定器具が装填されたライフル状の機器を構える黒髪の女、C.N.イリーナだ。

 ブラックホークはアンカー・ガンの射程限界まで距離を詰め、そこで静止する。わずかな動揺すら見せないのは火ノ空の飛行技術が卓越している証拠だ。

 イリーナがアンカー・ガンを構える。松岡の合図を待つ。松岡はそれを見て、頷いた。

「イリーナさん、アンカー投射をお願いします」

「了解」

 合図を受けたイリーナは、一瞬静止したのち、アンカー・ガンの引き金を引く。ショットシェルを利用して射出されたアンカーはダウンウォッシュをものともせず、尾部から伸びるワイヤーとともに飛翔。そして、神山たちのいる地点の10m横に正確に着弾。その碇を船体に食い込ませ固定させる。

 松岡は着弾を確認したのち、ワイヤーの張力を確認する。問題なし。すぐさま次の工程へと移る。アンカー・ガンを携えたままイリーナは下がると、松岡は長方形状のものをワイヤーへと接続する。太いフレームが外枠になっており、内部には透明なポリカーボネート製のケースが収められている。それらを繋ぐように各所にはラッチによって接続され、頂点には天使の輪を模したかのようなデバイスが宙を浮く。

 松岡が接続を確認すると、キャビン内の人員を確認した。イリーナ、角館、立川の全員がすでにワイヤーの軸線上から退避している。松岡も少しだけ離れて、コンソールを握り、立川を向いて準備が完了した旨を伝えた。立川が号令を発する。

「”コンテナ”、投射開始」

「了解、”コンテナ”、投射開始!」

 号令を受けた松岡がコンソールを操作する。コンテナと呼ばれた長方形の箱はするりと加速を開始した。

 肆一式投射補給匣。通称”コンテナ”は八咫烏設立後しばらくしてから開発された補給用装備だ。補給部隊の損耗が問題視された結果、遠隔地からの補給を可能とするために配備された。上部に存在するデバイスが霊力によって推進力を生み出し、音もなくワイヤー上を進む。客船に衝突する寸前、自動的に減速し、神山達のところへと無事たどり着く。

コンテナにたどり着いた隊員たちは、おのおの目視で納められた装備を確認すると、それぞれが上部デバイスに手を翳す。静脈と霊紋を利用した二重認証システムが、自身の内部に格納した獲物の主を確認し、ロックを解除した。

 それぞれが素早く装備を検め、装着していく。全員のコンテナに共通して格納されているのは参八式祓衣・弐型のジャケットだ。八咫烏最精鋭部隊が装備するそのジャケットは高い霊障防護性能を持っている。これから何が潜むかわからない船内深部に向かう彼女たちには必須級の装備だ。それを神山と黒氏はバニースーツの上から、真希島とメルヴィレイはベストの上から羽織った。

 次にそれぞれの獲物を手にする。

 神山アイリはまず、弾倉がすでに収められているレッグポーチを手にすると、それを素早く腿へと装着した。そしてP90を手に取り、セーフティが掛かっていることを確認し、装填されているマガジンを一度抜く。薬室を目視で確認し、弾薬が送り込まれていないことを確認すると、再びマガジンを戻したのちにコッキングハンドルを引いた。

 黒氏リンも同じく、レッグポーチを身に着け、TA-7――八咫烏の正式採用SMGだ――に初弾を送り込み、弾薬をしっかりと咥え込んでいることを確認する。彼女はそれに加えて、コンテナの中から黒い盾を取り出すと、左手でしっかりと握った。

「ひゅう、いいねぇ。気分はシュワルツェネッガーだ」

「は、だったら陽気なBGMでも流すか?」

 メルヴィレイの軽口に答えながら、真希島も準備に取り掛かる。

 銃を用いる神山や黒氏に比べて、真希島カンナの装備はシンプルだ。会議の際にも携行していた霊刀、加具土命を刀剣用ホルスターで背部に固定する。真希島は柄にそっと触れた。じんわりと暖かさが伝わってくるのを感じる。それが何なのかは、彼女の胸の中にのみ答えがある。

 ノア・メルヴィレイは大振りなフランベルジュを背部に固定し、双剣として扱っているベイヨネットを腰に履く。次いで、彼女の能力の鍵となる、自らの血液が収められた輸血パックをジャケット内部に収納した。

 

 四名の準備が完了したことを確認して、松岡は再び手元のコンソールを操作し、追加でワイヤーに肆〇式可搬広域結界生成装置を掛け、投射。船上の隊員達はそれを受け取ると、甲板上に展開した。

 展開を確認した松岡は、コンソールでコンテナの回収を指示。ワイヤーをウインチで巻き取る。それに付随してコンテナも回収された。

「私たちはこのまま上空で待機するよ。もし何かあった場合のバックアップ。穴の中は任せたよ、ウサギちゃんたち」

 角館の冗談めいた口調に神山は手を振って答え、そして三人の隊員を見た。準備は万全。

「リンさん、私と一緒に船倉へ。カンナさんとノアさんは船橋へ。船の運航の停止と、民間人の避難を行ってください」

 三人が頷いたことを確認して、神山は告げた。

「行きましょう」

 

 

 

 一流の特殊部隊員とは「走る銃座」である、と言われることがある。走り、敵を正確に撃ち抜き、また走る。その繰り返しを何百何千、それ以上積み重ねて出来上がる戦闘兵器。

 今、神山と黒氏はそれに肉薄する勢いで、走り、撃ち、そして走る。対人電撃弾のおかげで、鬼嶋の時のように銃器のみを叩き落すという曲芸はしなくても良いというのが、また彼女達を速度を加速させる。お互いの装填の隙をカバーしながら、彼女たちの行く手を阻もうとする黒服の警備員達を次々撃ち倒し、前へと進む。不意打ちに成功した警備員の銃撃ですら、黒氏の盾によって銃弾は弾かれ、その隙を神山が撃つ。

 壮絶でありながら、死者ゼロという銃撃戦を制し、神山と黒氏は目的地のドアへ手を掛けた。偽装されたドアノブを捻り、開ける。

 

 内部の空間は想像よりは広かった。人が共同生活するには十分なスペースと、ベッドや机と言った設備が設えてある。

 しかしその空間の設計は、悪趣味なものであった。

 ドールハウスめいて一方の壁が取り払われ、撤去された一面には強化ガラスが張られており、向かって右下にのみドアが設置されている。外部から内部の生活が一目瞭然であり、見世物としてこの空間は設計されている。

 その中には少女が一人。青みがかった海のような髪。そして首元の同じ色をした鱗。肌は小麦色で、彼女のルーツが混ざり合っていることを想起させる。楚々とした白いボタンワンピースが、その肌と鱗、髪の艶やかさを強調させていた。座り込み、祈るような姿勢をしている彼女の脚元には枷があり、加えて高尾市の廃工場の時と同じように口枷もつけられていた。神山たちは先ほど水戸の端末で見た顔と名前を思い出す。間違いなく、彼女がヴィオレッタだ。

 神山は黒氏に警戒するように指示を出すと、P90をスリングで背中側に下げる。そして鍵が掛けられたドアの認証装置に軽く触れる。K.A.I.N.T.が作成した偽造IDはここでも問題なく作動し、ドアを開けた。

 神山が中に入ると、ヴィオレッタは神山の方をようやく向いた。神山は敵意がないことをアピールするためしゃがみ込み、彼女と目線を合わせた。

「大丈夫、助けに来たよ」

 あの夜と同じようにヴィオレッタに声を掛ける。

 神山をじい、と見つめ返したヴィオレッタは、その言葉を受けて頷いた。

 神山は作業に取り掛かった。まず、彼女の口枷から外そうとフォールディングナイフを取り出し、革のバンド部分をセレーションで引き切る。彼女の口をふさいでいたそれは、簡単に外れた。

「ありがとう、おねぇさん」

 ヴィオレッタは神山に礼を言った。少し訛りはあるが、聞き取りやすい日本語だった。神山はその流暢さに驚きながらも、微笑みを返しながら答える。

「どういたしまして。でも、それはココから出れたら、また聞かせて?」

 そう言いながら神山はヴィオレッタの前に屈みこみ、次は足枷に取り掛かろうとしたとき、ヴィオレッタが神山にしなだれかかった。神山は反射的に彼女を抱き留める。心配の言葉は、続くヴィオレッタの言葉に掻き消される。

「お礼に、歌うね?」

 え、と神山が困惑の声を漏らすと同時、少女は歌い始める。それは望郷の歌、在りし日を思うための歌。

 神山の意識が、遠のく。



 違和感に最初に気づいたのは黒氏だ。歌声が船倉から聞こえて、神山が拘束を解く気配が途絶える。黒氏が船倉に駆け込むと、ヴィオレッタは神山に抱かれながら立っていた。その間にも、歌は続く。黒氏はガラス張りのドールハウスに飛び込むと、TA-7を突きつけながら少女に問うた。

「貴女……アイリに何をしたの!?」

 少女は歌うのを止めると、妖しく笑って、その問いに答えた。

「大丈夫、おねぇさんとは、すこしお話しているだけよ」





 遠くで呼ばれるような声が、神山の耳朶を打った。むくりと布団から体を起こす。ベッドサイドに置かれた時計は8時を示そうとしていた。朝礼までは30分。

「嘘ッ!?」

 神山は大きな声で叫び、遠くで呼ばれる声が、自分の母親が自分を起こそうとして呼んでいる声だというを理解した。

「遅刻する~!」

 そんなよくあるセリフを吐きながら、朝の支度を大急ぎで行う。一通り身だしなみを整え、ブレザーの制服を着る。鏡を見ながら銀色の髪を透かし、長い三つ編みを作る。その頭に、猫のような耳はない。

 昨日準備していた学生鞄を手に取り階段を駆け下りる。

「アイリ!朝ごはんは!?」

 リビングから母親の声。その声に懐かしいものを感じながら、アイリは反射的に返事する。

「要らない!遅刻しちゃう!ってかなんで起こしてくれなかったの!」

「何度も呼んだわよ、起きなかったのはソッチなんだからね!」

 そう反論されれば神山に言えることはない。玄関でスニーカーを履こうと悪戦苦闘していると、リビングから白い猫が小さい鳴き声を上げながら神山の元へとやってきた。そろそろ人間換算で50歳を超えようとする老猫は、神山に擦り寄ってその喉を鳴らす。

 神山はお返しとばかりに頭を撫でる。その暖かさに、やはり懐かしいものを覚えながら、彼女は微笑んだ。

「行ってくるね、チョビ」

 にゃあ、と返事するように鳴いた猫を尻目に、リビングに向かって再度行ってきますと呼びかけ、玄関のドアを開けた。玄関から一歩外へ踏み出して、彼女は思う。

 あれ、なんで懐かしいなんて思ったんだろう。




 全力で走ったことで、何とか校門へと滑り込んだ神山は、ホームルームが行われるギリギリで席に着いた。机の上に学生鞄を放り出し、火照る体を下敷きで仰ぐ。

「また遅刻?アイリ」

 そう聞いたのは隣の席に座る黒氏リンだ。その頭に、やはり獣のような耳はない。

「ギリギリセーフだから、ギリギリ」

 そう反論しながらバツの悪そうな笑顔を浮かべる神山に、黒氏はくすりと笑う。

「まぁいいけど、一時間目の英語、ノア先生が小テストやるって言ってたよ」

「それはバッチリ。あの人のテスト、イギリスのバラエティの最新話見てれば分かるし」

「それをテストにするのもどうかと思うけどね……」

 黒氏は苦笑いして、雑談を続けようとした。そこに担任がやってくる。

「はーいお前ら、ホームルーム始めるぞ」

 言いながら明るい髪色をポニーテールに纏めた体育教師の真希島カンナが入ってくる。教卓に立つまでに、生徒たちはお喋りを止めて真希島に視線を集めた。

 それから、取り留めのない話と、いくつかの伝達事項が話される。優等生の神山はそれをメモし、配られてくるプリントにもしっかりと目を通して、それらを鞄の中にしまう。

 今日も一日が始まる。

 だが、その一日を彼女は、どこか違和感を抱きながら過ごすことになった。

 

 放課後、神山は帰路に付こうと自分の下駄箱の前で上履きを脱いだ。隣には黒氏も一緒だ。今日は部活動も塾もない。二人で一緒に帰る予定だった。

 神山が自分の下駄箱を開ける。自身のスニーカーを取り出そうとして、ひらりと何かが落ちた。落ちたそれは一枚の便箋だった。疑問符を頭に浮かべながらしゃがみ込んで拾い上げる。そこには丁寧な文字で放課後に屋上に来てほしい、と書いてあった。

「ふぅん」

 その便箋を黒氏も覗き込んで確認した。神山は思わずバッと便箋を胸元に持ってきて、文面を隠した。気恥ずかしさに耳を赤くする。

「いや、これは……!」

「行って来たら?不安だったら付いて行ってあげてもいいけど」

 からかい半分といった様子で、黒氏がにやにやと笑いながら神山に聞く。神山は少しだけ迷ってから判断する。

「いや、一人で行く。失礼だと思うし……」

 真面目だねぇ、と呟きながら黒氏は肩をすくめると、待っているからと言って先に玄関へと向かった。

 

 階段を上る。優しい夕日が校内を橙色に染めている。人の影はまばらで、雑談に興じている生徒が少しばかり残っているだけだった。屋上へと向かうドアは施錠されていない。この学校の七不思議のひとつが、この施錠されていない屋上だったが、今はそれを考えるよりも優先するべきことが神山にはあった。

 ドアを開ける。西日が暖かくドアの中に入り込む。屋上へと一歩踏み出すと、すぐそこに一人の男子生徒が立って、人を待っていた。ドアが開く音に反応した男子生徒は、音の主が神山だったことに安堵の表情を見せた。

 神山は彼を知っている。クラスメイトの一人だ。取り立てて目立つことはないが、いつもクラスの中心として会話の輪に入り込めているタイプでもあった。率直に言えば、悪い気はしない、と神山は思っていた。

 彼は飾らない、素直な言葉と共に頭を下げ、手を差し出した。神山は差し出された手を受け入れようとして、手を伸ばし

「平和な夢は見られたか」

 その言葉に、はっとして神山は声の方を向いた。

 見覚えはないはずだった。でも良く知っている制服、背格好、髪型、そして優し気な顔。声の主は、言葉を続ける。

「でもまぁ、夢もいいもんだけどさ、そろそろ戻ってやりなよアイリ。お前の居るべきところへ。皆が待ってる」

 そう言って、彼女は笑う。神山の眦に涙が浮かんで、彼女は自らそれをぬぐって答えた。

「わかったよ、イオリ姉ぇ」

 握られない手に、男子生徒は不安げに顔を上げた。アイリは差し出しかけた手を引っ込めて、後ろを向いた。

「ごめんね、貴方のお願いは、聞いてあげられないんだ」

 そう言って彼女は駆け出した。階段ではなく、屋上のフェンスに向かって。そして跳躍。 陽光を受けて金色に染まった一対の耳と尻尾が揺れ動く。男子生徒は手を伸ばすよりも、その美しさに見惚れていた。

「でも、またどこかで!」

 神山は一度だけ振り向いて笑みを返した。彼女の体は宙を舞う。その姿は既に女子高校生のものではない。ブレザーは参八式改弐に、持っていた学生鞄はP90へと姿を変える。

 彼女はきっと、正面の空間を睨みつけた。落下は始まっているが、彼女は焦ってなど居なかった。

「やをら目覚め給へ、我が内に宿りし双尾の神よ――」

 詠唱開始。P90のマガジンを排出し、新しい弾倉を引き抜く。

「影は風となり、声は月に届かん――」

 真新しい弾倉を叩き込み、コッキング。対人電撃弾を薬室からはじき出し、儀礼済対怪異弾を装填。

「今ぞ請ふ、汝が力を賜ひて」

 半透明のマガジン内部に、霊力が宿る。狙いは付けない。対象は、この空間すべて。

「我を守り、道を示したまへ!!!」

 詠唱完了。同時にトリガー。神山は空中で体を捻り、踊るかのように射撃。秒間15発以上の連射速度で吐き出される5.7mm弾が、空間そのものに着弾。同時にその空間を捻じ曲げ、破壊する。空が砕け、地は割れる。

 神山が見ていた夢は、そのすべてが砕かれた。

 だが、その先にあるのは現実空間ではない。暗い海のような空間が、破壊した空間を覆う様に存在している。

 神山は覚悟を決めた。着水する。




 突入する前のイメージと同じような、暗い海の底のような空間が広がっていた。神山は大きく息を吐いて、そして吸った。呼吸が出来ないわけではないようだった。

「嘘」

 神山の背後から声が響く。振り向いてP90を構えると、そこにはあの歌を歌った少女、ヴィオレッタが居た。

「なんで、あの場所から逃げ出してきたの。あそこには、あなたが望むものはなんでもあったはずでしょう」

 ヴィオレッタは理解できないといった様子で後退った。神山はP90をスリングで背中にやって、ヴィオレッタと向き合う。

「そうだったね、私の欲しいものは、なんだってあそこにあったかもしれない」

 神山は少女に向かって、一歩ずつ歩を進める。

「でも、違うの。本当に私が欲しいものは、ううん、本当に私がやるべきことは、あそこにはなかったの」

「嘘でしょ」

 ヴィオレッタは同じ言葉を繰り返して、神山を睨みつけて言った。

「だってお姉さん、傷だらけじゃない。自分のせいで自分の大切なものを何度も失って、やっと平和な世界に行けたのに、おかしいよ、そんなの」

「そうだね、おかしいかもね」

 そう言って、神山は微笑んだ。その微笑には、悲しみと諦観と、それを飲み込んで立つ覚悟があった。

 一歩、また一歩と、神山は歩を進める。手を伸ばせばヴィオレッタに触れられそうな距離まで近づく。

「こ、来ないでッ!!」

 ヴィオレッタが叫んだ。目には涙を湛え、首を横に振り、神山を否定する。

「あなたは自分の選択で傷ついたからそんな風に居られるんだッ!私は選ぶことすら出来なかった!!」

 少女は激昂する。堰を切ったかのように恨み節があふれだす。

「最初は幸せだったのに、普通の家族だったのに!こんなことになって……!」

 そう言って彼女は、自らの胸元を見せつけた。びっしりと生えそろった鱗は、海底の薄明りを受けて深い紫に見える。

「この変なのが生えてきてからみんな私を気味悪がった!親も、兄弟も、友達も!私の周りには、誰も私のコトを思ってくれる人なんて居なかった!!」

 瞬間、神山の脳裏にイメージが流れ込んだ。幸せな家族の記憶。朝、学校に行って勉強し、友達と遊ぶ。夕方には帰って、両親の帰宅を待つ。帰ってきた両親に抱きついて甘えて、一緒に食事し、一緒に眠る。

ヴィオレッタ」

 イメージの中でヴィオレッタと呼ばれた少女――目の前に居る、彼女の幼い頃だ――が両親の膝の上で頭を撫でられ、目を細める。膝の上で歌を歌い、上手と褒められて嬉しそうに笑う。どこにでもあって、もうどこにも存在しない、幸せな家族の風景。

 それは一瞬の内に暗転した。ヴィオレッタの体から鱗が生えてきてからだった。最初は両親も懸命に治療しようとした。しかし、どのような医療機関でも彼女のそれを癒すことはできなかった。

 彼女は呪いの子になった。石を投げられ、周りの人から気味悪がられ、最後には家族でさえも、彼女を見限った。

「そのうち私は売られたよ、地元のマフィアに、珍獣扱いでね。それからはもう人としての日々なんて終わりだ!!一生見世物扱いだ!!好きだった歌ですら、人を操るコトが出来るって分かってから、人を不幸にするために使わされた!!」

 ヴィオレッタは男に手を引かれる。こちらを見る両親は、頼むからもう二度と関わらないでほしいという目でヴィオレッタを見つめていた。

 それからヴィオレッタは、商品として扱われた。金持ちやマフィア、ギャングの元を転々とさせられた。苦しい中でなんとか生きるよすがだった歌ですら、その歌声で人を操ることができると分かったとき、道具として利用された。

 彼女が歌うと、敵対組織のギャングが親玉に向かって拳銃を撃った。

 彼女が歌うと、どんな拷問よりも早く口を割らせることができた。

 彼女が歌うと、どんな清廉潔白な人物であろうと、薬物の沼に溺れた。

「だからもう、私は誰も信じない。全部私の意のままにしてやるって決めたんだ!!」

 神山は、ヴィオレッタの慟哭から一瞬たりとも目を背けなかった。彼女の悲しみと絶望が、脳内に直接流れてきても、真正面からそれを受け入れた。

「ねぇ、ヴィオレッタちゃん」

 神山は、ヴィオレッタの前で片膝を着いた。彼女と目線を合わせる。

「私はね、ヴィオレッタちゃんのことを、全部は理解してあげられない」

 でもね、神山は続ける。

「でも、ヴィオレッタちゃんが悲しくて苦しんでるなら、私は助けたい。誰かを助けることが、私が生き続ける意味だから」

「い、やだ。イヤだイヤだイヤだッ!!誰かに助けられるなんてあるもんか!!お姉さんは私のモノにするッ!!絶対に私を裏切らないように……ッ!!」

 ヴィオレッタは深く息を吸い込んで、歌う。今度こそ、神山の洗脳が解けないように。神山はそれを止めない。

ヴィオレッタちゃん。これは傷だけど、ただの傷じゃないの」

 ヴィオレッタの歌が響き、神山の精神を揺らさんと襲い来る。だが、神山は欠片も揺るがない。

 腰にある、参八式退魔刀の鯉口を切る。肩に暖かな手が触れる感触。それが誰の手かは、神山は知っている。

抜刀、横一線に刀を薙ぐ。ヴィオレッタの干渉波は、参八式の一振りによって掻き消された。

「これは、私を私にした傷だ。だから、私はこれを力にして進むんだ」

 納刀。ヴィオレッタは自身の洗脳が届かなかったことを理解して、力なく跪いた。

 神山は、ヴィオレッタの前に両膝を着いて、抱きしめた。ヴィオレッタの涙腺が決壊を迎える。深海のような空間に、涙は溶けては消えてゆく。

 一頻り泣き終わるのを待って、神山はヴィオレッタに告げた。

「大丈夫。私もあなたも、居ていいって言ってくれる場所がある。私がそこまで連れていくから、信じて」

「うん、おねぇさん」

 ヴィオレッタはそこで言葉を切って、続けようか躊躇して、それでもやはり、最後まで伝えた。

「助けて」

「もちろん」

 神山はヴィオレッタを、強く抱きしめる。

 海の中に、光が射す。




 黒氏はヴィオレッタに銃を突きつけたまま身動きが取れないでいた。神山はどうなっているのか、このまま撃っていいのか、判断が出来ない。ただ、その銃口はぴたりとヴィオレッタの額に突きつけられたままでいる。

 その状態で、どれだけの時間が経っただろうか。数秒な気もするし、数時間はこうしている気すらする。

 不意に、ヴィオレッタの頬に、涙が伝った。黒氏は驚きながらも、銃口は突きつけたまま様子を伺った。

 次の瞬間、神山が動いた。その腕は、ヴィオレッタを守るように抱きしめる。その体勢のまま、神山は黒氏に向けて言った。

「大丈夫、もうこの子は、大丈夫だから」

 黒氏はその言葉を聞いて、銃を降ろした。はぁ、とため息を吐いて肩を落とす。

「まったく、心配させるんですから」

「ごめん」

 言いながら神山はヴィオレッタの涙を拭う。

「ありがとう、おねぇさん」

「どういたしまして」

 答えた神山は残りの拘束具を外そうと作業に戻る。その姿を見て、ヴィオレッタの脳裏には一つの疑問が浮かんだ。なぜ夢の中ではちゃんとした服を着ていたのに、今はバニースーツなのか、という当然の疑問。

 ヴィオレッタは子供らしい素直さで神山に質問した。

「ところでおねえさん、なんでそんな恰好をしてるの」

「それは聞かないで欲しいかな!」

 神山は耳を赤くしながら、語気を強めて言った。




「くそぅ……」

 水戸は自分の部屋で、両手両足を拘束されたまま呪詛を吐いた。

 半妖を売りさばいているのがバレた。あのガキ共は司法に則って判断されると言っていたが、それはつまり自らが裁かれる運命からは逃れられないということも意味していた。

「くそぅ……!!」

 気絶している護衛の連中に視線を送る。50人ほど雇っている私兵だったが、それは半妖が利益になるからこそ雇えている人員だった。その用心棒たちが、無様に伸びている様に水戸は腹を立てた。

「くそぅ……!!!!」

 水戸は芋虫のように這って室内を進んだ。目的地はベッドサイド。八咫烏の面々に明かした端末の在処と反対側に存在する棚を口で開けた。そこにあるのは一つのスイッチ。

 これを渡して来た男の声が脳裏に浮かぶ。信用ならない声をしていた。コイツを信じたら破滅へ向かうかもしれない、そう思わせるような声だった。

 だが、水戸はそれを己の才覚でねじ伏せることが出来ると信じていた。しかし今となっては、それは叶わない。

 叶わないならば、賭けに出るしかない。たとえ縋る先が、あの男であったとしても。

 水戸はそのスイッチを顎で押した。




 同時刻 イエマンジャⅡ 船橋

 イエマンジャⅡの船長は凝り固まった体をほぐすように肩を回した。久方ぶりの日本だったが、陸に上ってのんびりとする暇は無かった。とはいえ、高給取りである以上それに文句をいうわけにも行かないと彼は思っている。夜間で停泊しているということもあり、航海士と操舵士、その他人員が数名詰めているだけだった。

 本日も平穏無事、船長の認識としてはそのようなものだった。この船の上空をヘリが飛んでいたが、VIPのスキャンダルをすっぱ抜こうとする報道ヘリが大挙として押し寄せてくるのはよくあることだった。スタッフ部門の人間は謎の破裂音が聞こえるということでクレーム処理に追われていたが、船長はそれを認識しながらも、スタッフ部門で対応出来ているのならば問題ないであろうと考えていた。

「ちょっと、困ります」

「困るじゃねぇんだ、こっちは警察だ。重要な話があるんだよ」

 言い争うような声がブリッジ前から聞こえて来た。警備員が誰かが船橋に入り込もうとしているのを阻止しようとしているようだったが、警察という言葉が船長の気がかりとなった。

 席を立ち、ドアへと向かう。開けた先には二人の少女。真希島カンナとノア・メルヴィレイだ。

「いかがされましたか」

 船長は努めて紳士的な態度で彼女へと相対した。彼女達の背や両腰に刀剣らしきものが吊られているのは一瞬シージャックの可能性を思い起こしたが、シージャックであればこのように話をしようとは思わないだろうと判断した。

「アンタがこの船の船長か」

 真希島カンナが腕を組みながら問う。船長はえぇ、と答えながら次の言葉を待った。

「この船に違法な物品が積まれている可能性がある。現在アタシらの別動隊がそれを捜索しているワケだが……その間、船の運航を停止してほしい。それと、調査のために一般人の退船を頼みたい」

 その報告は船長にとって寝耳に水だった。そのような物品を輸送したことなどないつもりだったし、そうならないように職務を果たしているという自負もあった。加えて、乗客の退船などという事態になればその損失は図り知れない。

 だがしかし、ここでその要望を跳ねのけることが正解とは思えない。そういった倫理観は持ち合わせていた。

「なるほど、分かりました。とはいえ我々もはいそうですかと首を簡単に縦に振ることはできません。この目で確認させてください」

 真希島は少し考えたが、ここで押し問答するよりは早いと判断する。

「分かった。アタシ達の上と話を付ける。少し待て」

 そう言って真希島が端末に手を伸ばした。

 その時、振動が船を襲った。縦に横に揺さぶられ、揺れに慣れている船員ですらその振動に膝をつきそうになる。

「なんだ!!」

 船長が叫ぶと同時に、何かが海中から飛び出して、右舷に大瀑布が生まれた。砲撃のような衝撃に、船橋要員が悲鳴を上げる。

 飛び出したものは、船橋前部の甲板に着地した。

 まず目に飛び込んできたのは、顎。鋭い牙が何本も整然と並び、唸り声を上げる。恐竜のような頭部は、甲板上のライトを浴びて深海のような青色を見せる。その頭部は首、そして胴体へと繋がり、二本の足が甲板を踏みしめる。手はないが、発達した筋肉と鱗に覆われた両翼は、それが空ではなく海を往くためのものであると主張していた。

 船橋の人物は、まるでフィクションの世界から飛び出して来たその龍を呆然と眺めた。これが現実であるということを認識できないでいた。

 だが、真希島とメルヴィレイは違った。即座に判断。

「逃げろ!!!!」

 真希島が叫ぶ。その声に状況を理解した人間は、船橋から船内へと続く通路に一目散に駆け出した。だが、その声にも反応できない人間もいる。

 真希島は迷わず船橋へと飛び込んだ。自らの体に宿る術式を活性化。人を超えるスピードで立ち止まっている人間二人を抱え、通路へと運ぼうとする。

 しかし、龍はそれを見逃さなかった。大きく息を吸い込むように顔を上げ、そして、咆える。

 その咆哮は、物理的脅威を伴った。圧縮された水流が龍の顎から放たれ、船橋を横薙ぎに破壊していく。構造的に脆弱なブリッジウィングはその一撃で完膚なきまでに崩壊する。

 真希島は二人を抱えて走る。だが、その横薙ぎの水流は真希島たちに迫らんとする。

 彼女は叫んだ。

「ノアぁ!!!」

「言われなくても!!!」

 瞬間、メルヴィレイは血液パックを2つ投擲。それが真希島の背後をすり抜け、炸裂。そこに収められた血液は頑健な装甲板へと姿を変える。これがノア・メルヴィレイの能力。血液に指向性を与え操作する異能は盾を以て、龍の鉾と相対する。一枚目の装甲は血液を裂かれ、水と混じり合い崩壊する。続く二枚目も同じ末路を辿るかに見えた。

 だが間一髪、真希島が間に合った。ドアに転がり込むと同時に、救助した二名を廊下に放り投げる。雑な扱いではあったが、ウォーターカッターじみた一撃を喰らうよりははるかにマシだった。ノアは船橋に至る分厚い鋼鉄製のドアに蹴りを見舞い、無理矢理それを閉じる。

「セーフ、間に合った。ナイスラン、カンナ」

「お前も行けよ、二人居たんだぞ」

「いやいや、いざという時のバックアップは必要だろ。現実、役に立っているじゃあないか」

 真希島は立ち上がりながらメルヴィレイに愚痴り、しかしメルヴィレイは飄々とそれを躱した。

 驚愕のあまり立ち竦んでいる船長を見て、真希島は肩を叩いた。船長がびくりと反応し、真希島の顔を見る。

「いいか、あれは人がどうにかできるもんじゃない。今すぐ乗客と船員を避難させろ。出来るな?」

 その言葉に船長はこくこくと頷いて、他の船員に指示を出した。指示を受けて我に返った船員たちが、己の職務を果たさんと走り出す。

「さぁて、と」

 真希島は肩越しに加具土命を引き抜いた。そこに刀身はなかったが、次の瞬間、彼女の髪と同じ、桜色の霊力が吹き荒れ刀身を形成する。メルヴィレイも、背中に懸架したフランベルジュを抜刀した。

「あの、貴方たちは」

 船長が二人に対して問いかけた。二人は船長を向いて、にぃ、と不敵な笑みを浮かべて返した。

「「決まってるだろ、怪獣退治だよ」」




 船上の様子はブラックホークの機上からでも確認出来ていた。突然現れた大型の怪異は船橋を破壊し、甲板上で暴れる。

「なんですか、アレは……!」

 思わず立川が呻くように声を絞り出す。今まで遭遇した怪異の中に龍が居なかったわけではない。八咫烏と協力関係にある龍種も、数種が存在している。

 だが、その龍はどれもがこちらに友好的であった。敵意を向けてくる龍というのは初めての体験だ。遠くからでもその威容に震えあがりそうになる。

 が、立川は大きく息を吸って、止め、ゆっくりと吐いた。パニックになりそうな時の対処は彼女の八咫烏以前の経歴から身に沁みついている。キャビン内を見渡す。イリーナ、角館は両名とも場慣れしているだけあって、冷静だった。残るは松岡だ。

 松岡は戦うことに慣れていない。八咫烏隊員の基本的な技能として戦闘訓練等は積んでいるし、民間人の協力があったとはいえB級怪異の討伐もほとんど単身で成し遂げたこともある。とはいえ、最前線に近い距離での強大な怪異の出現に怖気づく可能性は十分に考えられた。

 立川は松岡を呼ぼうとして、その声は当の松岡に遮られた。

「すごい!!こんな龍見た事ありません!都市伝説のネッシーとも身体構造が違いますし、鼉龍に似ている部分はありますが二つ足で立ってる!」

 松岡は興奮していた。隈が刻み込まれた両眼が燦燦と輝き、いまだ見たことない怪異に対して自らの知識からその特徴を導き出そうと脳内をフルスロットルで回転させていた。

「松岡さん、落ち着いて。K.A.I.N.T.への照会と分析を頼みます。こちらは隊長達に連絡を」

 松岡がパニックに陥っていないことにひとまず安心しつつも、松岡に指示を出す。松岡は了解すると、手持ちの端末での分析作業に取り掛かった。

「あー、こちらノア・メルヴィレイ。聞こえてるかな」

 ヘリの人員に通信が響く。メルヴィレイの声だ。

「現在出現した大型怪異を確認。避難誘導は船員さんにお願いしてる。私とカンナは交戦に入るから、援護と隊長たちの回収をよろしく」

 それだけ言うと通信は一方的に打ち切られた。その声を受けて、角館が席を立つ。

「ミコトちゃん、そろそろ私の出番かなと思うんだけど」

 角館の言葉に立川は頷いた。

「じゃあ、後ろはよろしく!」

 そう言い残して、角館はキャビンの縁を蹴り、空中へ身を投げた。直後、彼女の背から淡い青い光が生まれ、翼めいて滑空へと移行する。角館の視線の先には、龍と相対する二人。





 同時刻 イエマンジャⅡ内 秘匿船倉

 龍が出現した時の振動は船倉の中にも伝わっていた。この振動が何が原因によるものなのか、神山たちにはこの場で即座に判断が付かない。もしかしたら自沈しているのかもしれないし、そうであればこの船倉内は危険になる。あるいは可能性はもう一つ、なんらかの怪異、あるいは怪異に近しい人間による介入。

 どちらの可能性であってもここに居ることは良くない状況に近づく。そう判断した神山はヴィオレッタを連れて脱出を決心した。その時、通信が入る。

「隊長。立川です。現在大型怪異が前甲板に出現、真希島とメルヴィレイ、角館が交戦中です。後甲板で民間人の避難誘導が行われていますので、我々は中央甲板右舷側で救助対象を回収します」

「了解しました、そちらに向かいます」

 通信を切ってヴィオレッタの方を向く。ヴィオレッタは不安げな様子で、神山たちを見た。

 「大丈夫、これからここをヘリで脱出するから、付いてきてね」

 ヴィオレッタが頷いたことを確認して、神山は黒氏に指示を飛ばす。

「黒氏、援護をお願いします」

 黒氏は了解と短く返す。マガジン残量をチェックして、それが十分なことを確認すると再度装填した。アイリも同じ手順で弾倉を確認すると、立ち上がった。

 

 船内はすでに避難が始まっていた。道中、対人電撃弾で打ち倒した黒服の武装を解除し、たたき起こし、避難を促しながら進む。行きのようにスムーズではないが、救助対象を抱えての中では仕方のないことではあった。

 神山と黒氏の内心に少しずつ焦りが生まれる。甲板で戦っている隊員達は無事だろうか、前部甲板の人々は脱出できただろうか。焦りを増幅させるかのように、ずしん、と振動が神山達を襲う。

 機関部を通り抜け、スタッフエリアへ、周辺には調度品や備品が散乱し、船の揺れを物語っている。神山と黒氏の速度についていけなくなったヴィオレッタは、早々に神山の両腕に抱えられていた。

 スタッフエリアを駆け抜け、客室エリアへ。ここを抜ければ、あとは甲板にたどり着く。

 そのタイミングで、神山と黒氏、ヴィオレッタは、通路の曲がり角から誰かがやってくる気配を察知した。ヴィオレッタを抱えている神山の前に、黒氏が出る。迷った民間人かもしれないが、最悪の状況を黒氏は想定していた。

 通路を曲がると、そこには一人の男。赤い髪に目立つピアスは、先ほど交戦した黒服の見た目ではない。だが、神山とヴィオレッタは、その男の顔に見覚えがあった。

「貴方は……!」

「よぉ、久しぶり。銀髪の」

 赤髪ピアスの男はにたりと笑った。それは安心から来る笑顔ではなく、明らかに敵意を示している。

「こちらに近づかないでください。避難するなら、見逃します」

 黒氏が冷静に、TA-7を突きつけながら言った。それでもピアスの男は、笑いを止めない。

「相棒、全治3か月でさぁ、仕事も上手く行かないし、チャンスがねぇかなぁと思って、水戸のヤローに頼み込んでこの船に乗ったんだけどさぁ」

 男はヴィオレッタを指差した。ヴィオレッタが小さく悲鳴を上げる。

「ちゃんと助けに来たなぁ、助けるって言ったのに、失敗したからなぁ」

 男は声を上げて笑った。狂笑と言っていい笑い声だった。

「まぁ、もっかい失敗してくれや」

 男が動く。その出鼻を感じて黒氏は躊躇なく対人電撃弾を放った。だが、それは空しく空を切る。男は目にも止まらない速度で神山の後ろへ回り込むと、ヴィオレッタ目掛けてナイフを突き立てようとする。神山が辛うじて反応して避けようとするが、両腕のヴィオレッタがその一歩を遅らせた。

 ヴィオレッタの体に刃が届く、かのところで、黒氏の盾によってその刃は逸らされた。黒氏はシールドバッシュで男を追撃しようとするが、男は素早い身のこなしで後退。黒氏はフルオートで牽制射撃。

「行って!隊長!」

 黒氏は叫びながら、TA-7を投げ捨て、PDPを抜く。その隙を付いて男は黒氏の横を抜けようとするが、黒氏はそれを体当たりで止める。

 神山はそれを後ろに見て、加勢するか一瞬だけ迷い、言われたとおりに駆け出した。

 黒氏と男が睨み合う。最初に口を開いたのは男だった。

「薄情な女だなぁ、あんなのと友達やってんの」

「わかってないですね、私達の隊長は最高ですよ。それに」

 黒氏は盾と、PDPをしっかりと握りしめて構えた。

「あなた如きに、隊長の手を煩わせる必要ありません」

 黒氏の煽るような言葉に、男は青筋を立てる。獲物を神山から、黒氏に変えた。

 

 神山とヴィオレッタは中央甲板にたどり着いた。最大限スペースを有効活用したそこにはプールにバーエリア、そして大きなスライダーが設置されていた。

 前部甲板は船橋に隠されて見えないが、何かがぶつかり、破壊される音が絶え間なく聞こえてくる。時折、怪異の尾や鰭が船に叩きつけられそのたびに船が揺れた。

 目的地のヘリは通信通り、右舷側にホバリングして神山たちを待っていた。松岡とイリーナはすでにヘリから降りており、ヴィオレッタを機上へと上げる準備をしていた。

「隊長!その子が救助対象ですね」

「その通りです!この子を連れて退避を、私は黒氏の援護をしてから、大型怪異へと向かいます!」

 松岡がヴィオレッタに向けて手を差し伸べた。ヴィオレッタは逡巡する。松岡は大丈夫ですよ、と声を掛けたが、それでもヴィオレッタは迷っていた。

 決心したかのように、振り向く。視線の先には、神山の姿。

「あの、お願いがあります!」

ヴィオレッタは神山を真正面から見つめ、切り出した。




 戦端は角館によって切られた。睨みあう龍とノア、真希島の両名にインタラプトする形で、角舘は龍の顔面目掛けて蹴りを放った。

 角館の能力、デプストリガーは自身の質量操作を行う異能力だ。背面に青色の翼が生成され、彼女は質量の軛から解き放たれる。ヘリの上から飛び降りた位置エネルギーを思う存分活かし、龍へと突貫。インパクトの瞬間、彼女は自身の質量を引き上げた。

 軽自動車が衝突するに等しいエネルギーが龍の顔面へと炸裂する。角館リンの切り札と言える一撃は、その威力のすべてを龍へと伝えたかに見えた。

 だが、龍は揺るがない。食らった衝撃でたたらを踏むこともなく、新たな乱入者へ向けてうなり声をあげて威嚇する。

「効いてないか!」

 角館が驚きの声を上げながらも、身をひねって着地する。隣には真希島とメルヴィレイの姿がある。

「リンの蹴りで揺るがないとは大したタフネスだ……。なんかからくりがあるだろうね」

 言いながらメルヴィレイは片手にフランベルジュ、片手には血液パックを手に取ると、それを投槍の形へと造成する。

「それを調べながら戦えってワケだ。いつものお仕事だろ」

 真希島は不敵に笑うと、加具土命を構えた。

 相対した龍は再度咆えると三人へ向かって突撃する。三名はめいめいに散開し、回避。

 龍は背後を取られまいと、己の丸太のような尾を振り回す。角館は距離を取るようにその尾をすり抜けるが、真希島とメルヴィレイは違う。甲板を力強く蹴り、前進。その目は真っ直ぐへと龍へ向かっている。

 大型怪異を相手取る際のセオリーは密着するようにインファイターと、じっくりと相手を観察するバックアップの両方に分かれることだ。インファイターは大型怪異の近辺を、可能な限り陣取り攻撃を行う。自らの獲物の適性距離、かつ小回りの利きづらいことが多い大型怪異にその体の長大さを生かさせないように、出来るだけ接近しての戦闘が求められる。

 しかしそう戦っていてもなお、怪異の特性や能力によってはその戦い方が出来ない可能性がある。例えば周辺の環境を灼熱や沼地に変える、あるいは精神干渉を起こす領域を発生させるなどの能力だ。

 そういった状況に対応して、前衛側が後退する時間や被弾した際のバックアップ、また、周辺の低級怪異を相手取るのが後衛だ。適切な状況判断と、前衛を助けるに足る火力が必要とされる。

 三人はなにも言うことなく、各々の判断で前後衛を分担した。長年の付き合いがある三人ならではの状況判断だ。

 真希島とメルヴィレイは両名とも龍の足元へと駆ける。真希島はその勢いのまま加具土命を振り抜き、メルヴィレイは血液で造成した槍を足へと向けて投擲した。だがその双方に手ごたえがない。弾かれたというよりは、飲み込まれ、消えたという感覚。 

 その感覚を証明するかのように加具土命は刃が揺らぎ、血液造成武器は龍の足にただの血として滴るにとどまる。真希島は舌打ちと共に再度加具土命に霊力を注ぎ、刀身を復活させる。

「フムン」

 メルヴィレイがその様子を観察しながら、フランベルジュを掲げる。龍の動きに巻き込まれないように回避を継続。

 その間隙を埋めるように、角館がリボルバーを引き抜いて龍目掛けて射撃した。高速のダブルタップで飛翔した銃弾は「6発」。角館リンにのみ扱える、対怪異三発同時発射型のマグナムリボルバーケルベロスは、一回引き金を引くたびに3発の弾丸が発射される怪物的なシロモノだ。50口径・900グレインフラットノーズを利用したそれは、硬い外殻を持つものに対して破滅的な衝撃を与える。

 が、これも龍の前には通らない。着弾はするが、その破滅的なエネルギーは発揮されずに龍は暴れ続ける。

「攻撃の質じゃないか……!」

 撃ち切ったリボルバーをホルスターに戻しながら、角館はメインアームのベクターSMGを展開する。その合間を埋めるように再び真希島とメルヴィレイは攻撃。真希島は空中へ飛び上がりながら、喉元を駆け上がるように切り付け、メルヴィレイは血液をスパイクトラップ場に展開し足止めを狙う。が、やはりその双方が有効打足りえない。真希島は空中で、龍を見下ろした。何かヒントがないかと龍の背を睨みつける。

 その頸椎には、およそ龍生来のモノとは考え難い、円柱状の物体が突き立っている。どことなく肆〇式に似ているそれを見た真希島は叫んだ。

「角館ェ!背中の円柱!」

 その一言だけで角館は真希島の言いたいことを理解した。自らの能力を生かした機動力で龍の背後に回り込むと、真希島の言っていた円柱を確認する。間髪入れずに射撃。だがこちらも、着弾する端からそのエネルギーを失い、対怪異弾が空しく地面に転がり落ちる。

「ダメ!こっちも通らない!そんなにヤワじゃないみたい!」

「こっちの攻撃もダメだ。とんだ貧乏くじ引かされたね、こりゃ!」

 龍が右のヒレを振り上げて、メルヴィレイ目掛けて叩きつける。メルヴィレイは血液で即席の盾を造成し、斜めになるよう配置。盾はヒレの叩きつけには耐えられずにはじけ飛ぶが、メルヴィレイ本人は転がるようにしてなんとか回避する。

 真希島が着地し、三人が再び集合する。

 その三人を目掛けて、龍は再び咆哮する。口元にジェット水流が収束し、放たれようとする。三人は回避行動に移ろうとして、その横面を強かな衝撃が襲った。それもやはりダメージにはならないが、それに怒りをあらわにした龍は、衝撃の方向へ目掛けてブレスを放つ。

「おおっと!」

 ジェット水流が夜空に伸びる。その先にあったのは八咫烏ブラックホークだった。龍から放たれた一撃を、コックピットにいた火ノ空は見逃さない。プガチョフ・コブラめいた機動で回避し、即座に体制を立て直した。

「やはり効かないか」

 大きく揺れ動くキャビンの中で、イリーナが冷静に呟いた。狙撃手の目は龍に対する攻撃をすべて見ていた。その上で、自身の持つ大口径狙撃銃すら通用しないことを確認した。

「み、みなさん!今、K.A.I.N.T.の分析が完了しました!背中の制御柱があの龍を操り、そして防御壁を生成しているみたいです!おそらくクライン理論を利用した運動エネルギーおよび霊力の自動転換フィールドと思われますが――」

「御託はいい!何すりゃいいか教えろ!」

「3分持たせてください!3分で対抗手段を作ります!!」

 ヘリの機動にもみくちゃにされながら、松岡が真希島たちに向かって通信を飛ばす。冗長な説明を遮った真希島に対して、松岡は怯むことなく言い返した。

「了解!」

 誰からともなく、三名からの返事が返ってくる。その返事を聞いて松岡は、ポーチから彫金道具を取り出した。そして、イリーナから受け取っていた弾薬に術式を刻み始める。

 その場を引き継いで、立川が通信に割り込む。

「それからもう一つ、今からそちらに隊長、それから救助対象の少女が向かいます」

「なんだってそんなコト!?」

 角館からの疑問の声に、立川は冷静に答えた。

「救助対象の力が必要かもしれない――隊長の判断です」




 黒氏は男の気を引くように、船内を逃げ回っていた。盾は道中で弾かれて落としたせいで、今手元にあるのはPDPのみだ。

 男は明らかに何かしらの影響を受けて強化されていた。真希島の全力時よりも早いと感じるほどの速度は、時に黒氏の視界を振り切り攻撃の機会を与えてしまっていた。バイタルエリアは皮肉にも、バニースーツが十全の防御力を発揮しているおかげで傷はない。だが、流石に防刃性能があるわけではない脚部や、ジャケットを貫通した刃が赤黒い染みを作る。

「なんだなんだぁ、そんなカッコで逃げ回って。誘ってんのかァ!」

 男はなおも狂笑を続けながら床を蹴り、黒氏を追い詰めてゆく。黒氏は逃げる。少なくとも、ヴィオレッタを避難させるまでは時間を稼ぐ必要がある、と考えていた。

 逃げ続けた黒氏は、やがてホールにたどり着いた。最初に神山と潜入していたホールだ。

 人の姿はなく、その様子はまるで急に人が居なくなった不気味な洋館を思わせる。床には食器が散乱し、ワゴンが倒れ、飲みかけのワインが床に水たまりを作っている。黒氏は酒の並ぶバーカウンターに身を隠し、PDPのマガジンを抜く。中身は空だ。スライドを少し引いて、確認する。最後の一発の対人電撃弾がそこに詰まっていた。スライドを戻し、叩いて閉鎖。

 不意打ちに賭けるか。いや、まったくの意識外からならともかく、あの男は気配を察知すれば避けることは可能だろう。最初の遭遇時、男は近距離からの発砲だったにも関わらず、銃弾を避けるように動いた。確実に倒せる手段ではないと黒氏は判断する。

 では白兵戦か、と問われれば、これも黒氏には選び難い選択肢だった。黒氏は白兵戦が不得手だ。同年代の女子と比べれば十分に高い身体能力と戦闘訓練を積んでいることは間違いないが、それが通用する相手でないことは分かっていた。

 息を吐いて、再び吸う。何か打開する術があるはずだと、黒氏は周囲を観察した。

 黒氏は特出した技能がない。白兵戦は人並み、射撃は得意な方ではあるが、数百メートルを超える距離を狙撃する技能はない。霊力に関する技能も、霊力保有量そのものは多いがそれを行かせる術式を持っているわけではない。

 だが、黒氏には他の隊員に比べて度胸という資質に優れていた。だから彼女は、やると決めたことをやり遂げるという、八咫烏隊員に於いて最も重要な資質の一つを持ち合わせている。

 その時、黒氏の腕に、何かの液体がしずくとなって降って来た。思わずびくりと反応し銃を向けるが、男の姿はない。黒氏は振ってきた液体の匂いを嗅ぐ。赤黒いそれは果物のようなにおいの中に、古本や木の皮のようなにおいが漂う不思議な液体だった。おそるおそる舐めてみると、酸味と不思議な風味が味覚となって黒氏の舌を襲った。思わず顔をしかめる。 何が降ってきたのかを確認するために上を見ると、横倒しになって割れたワインが、大型のワインセラーからあふれているのが確認できた。

 黒氏の脳内に、一つの可能性が生まれる。

 

 男はゆったりとした足取りでホールに入って来た。追いかけるのは容易だったが、しかしじっくりと追い詰めることで恐怖を与えてやろう、と考えていた。

 ぐるりと辺りを見渡す必要もなく、黒氏はそこにいた。バーカウンターを遮蔽にするように待ち構えている。その瞳は、一挙手一投足を見逃すまいと一直線に男に向けられていた。その手にはPDPが握られている。

 黒氏がPDPを男に向ける。男は身構えたが、黒氏は撃たない。睨み合いが数秒、続く。

 男は黒氏の拳銃の弾薬が、残り少ないか、あるいはないと判断した。ならばと一直線に距離を詰める。それでも黒氏は撃たなかった。男は黒氏が拳銃を持っていない左側から攻め込むことを決める。カウンターを飛び越え、黒氏の左側からナイフを突き出す。

 黒氏は、その行動を最後まで追い切れなかった。だが、彼女は行動を決めていた。突如としてバックステップ。自らカウンターの背後の棚へ飛び込むようにして、衝突。けたたましい音が鳴り響き、置かれている酒瓶が一斉に降り注ぐ。

 男は黒氏の意味不明な行動に一瞬意識が移り、しかしそれを反映するより先にナイフは黒氏の肉体を捉える。ジャケットを貫通し、バニースーツの表面へ。しかし防刃加工のスーツの前に、その刃は滑り致命傷にはならない。男は離脱しようとして、バックステップ。だがその行く先を、降り注ぐ酒瓶が遮った。勢いよく下がった後頭部に酒瓶が直撃し、思わずたたらを踏む。

 黒氏にはその隙だけで十分だった。狙いすますより、速く、疾く。西部劇のガンマンめいて、彼女はPDPを撃ち放った。

 男の体に対人電撃弾が食い込む。最後の一発はその性能を存分に発揮する。加えて、男は浴びた酒によって導電性が良くなっていた。通常より増強された威力の対人電撃弾が男の体を焼き、麻痺させ、最後に男は頽れた。

 黒氏は、スライドストップがかかったPDPをホルスターに戻すと、残る力を振り絞って男に手錠を掛けた。直後、全身の力が抜け、床にぺたんと座り込む。

 室内は、割れた酒が散乱し、本来楽しまれるべきだったアルコールと複雑な薫りがごちゃまぜになって立ち上っていた。

「あーあ、勿体ないなぁ」

 黒氏は思わずぼやいた。きっとこれを、メルヴィレイや真希島あたりに持っていったら喜んだろうに、と思いながら。




 同時刻 中央甲板

 戦線は前部船橋を乗り越えて、中央甲板に移行していた。様々な娯楽のための設備は龍によって破壊されつくし、ここが夢の跡地であったことを如実に物語っている。

 甲板上の八咫烏隊員三名と、ブラックホーク機上のイリーナによる援護射撃によって時間を稼いではいるが、後部甲板の民間人がボートに乗って避難しきるまでにはまだ時間がかかる。そちらには行かせまいと、八咫烏の隊員は全力を出して戦い続ける。

 がちん、と角館のベクターが弾を吐き出すのをやめた。最後の弾倉だった。角館は咄嗟にベクターをスリングで後ろに回し、ケルベロスを引き抜く。そのシリンダーに収められた6発の.500S&W弾が、角館に残された最後の弾薬だ。

 龍が角館のトランジションの隙を見逃さず、咆える。圧縮された水流が甲板を破壊しながら角館へ迫る。あわや直撃というところで、血液で造成された壁がそれを受け止めた。角館は間一髪、ローリングしてその場を退避。

 その隙にイリーナがOSV-96を三連射。絶大な反動の12.7×108ミリ弾は、通常の怪異相手ならば核に当たらずとも一時的な行動不能に至らしめるほどの威力を誇る。

 だがその三連射は想定通りの威力を発揮しない。龍にとっては、小蝿が止まったかのような影響しかない。だが、蝿を叩き落すのに理由などないとでも言うかのように、再度咆哮。圧縮水流が再びブラックホークに襲い掛かる。

 火ノ空はそれを予見していた。テイルローターの出力をミニマムに。バランスを失ったブラックホークは被弾したかのように回転し、水流を避ける。手足のように航空機を扱う火ノ空にしか出来ない回避方法。

 急激な機動にキャビン内は揺さぶられる。イリーナと立川は咄嗟に機体に捕まり、なんとかその急制動から持ちこたえた。だが松岡は対抗術式を構築し、その術式を弾薬に刻んでいるところだった。急制動に耐えられるはずもないと思った立川は、咄嗟に彼女の名を叫んだ。

「松岡さん!」

 松岡は返事をしない。だが、確かにヘリのキャビン内に居る。そして彼女は、OSV-96用の弾薬に、最後の仕上げをしているところだった。キャビン内のベルトでがっちりと固定された彼女は、さっきまでの機動などなかったかのように集中している。

 彼女の彫金道具が、弾頭に最後の一筋を刻んだ。真希島たちとの通信からは、2分57秒が経過していた。

「出来ました!」

 松岡は叫ぶと彫金道具を右足のポーチに仕舞い、イリーナの元へと向かう。

「イリーナさん。これをあの龍の背の制御柱に撃ち込んでください」

「わかった」

 恐ろしい難易度の指令にも関わらず、イリーナは差し出された弾薬を、まるで友人からペンでも借りるかのように受け取った。OSV-96のマガジンを外し、ボルトハンドルを引いて対怪異弾を排出。受け取った弾薬を薬室に装填し、ボルトハンドルから手を離し、装填。

「今有るのはそれ一発だけです。外さないように――」

「大丈夫」

 松岡の言葉を遮って、イリーナは左目にかかった髪を耳元へと掻き上げた。 

 彼女の左目は、未来を見通す目。真実を射抜く目。

「外しはしない」

 言うや否や、彼女は躊躇なくOSV-96のトリガーを引いた。同時に霊力が流れ込み、龍の防御に対する対抗術式が起動する。755グレインの弾頭が暴力的な圧力を受け、まばたきする間もなく、過たず龍を操る制御柱に命中。

 霊力が振動した。今まで時空の裏側に蓄積されていたエネルギーすべてが反転し、周囲一帯に物理的な圧力を伴って発散される。ぱきん、と、金属が砕け散るような音がして、防御術式は破壊された。

 龍が咆哮する。それは水流のブレスを伴わない、苦悶の咆哮。

 

 その隙を見逃す三人ではない。角館はケルベロスを両手でしっかりと構える。デプストリガーを起動。自身の重みを最大限に引き上げて、二連射。6発の弾頭のうち、2発が制御柱を捉えた。が、完全な破壊までには至らない。

「ノアぁ!!カンナぁ!!」

 角館が叫んだ。応じるように真希島は構え、ノアはその背を押した。

「鳥になってこい!」

 ノアが叫んだ瞬間、真希島は駆けた。自身の身体強化術式を限界まで引き出し、龍へと向かって突撃。だが、龍もただでそれを受けるつもりはない。真希島の進路を迎撃するように、顎を開き捉えようとする。

 次の瞬間、真希島の背に鮮血の翼が生まれた。メルヴィレイの血液操作、それは形を作るだけの能力ではない。むしろ本質は、血液のベクトル操作。真希島の背に、残る最後の輸血パックを張り付けた彼女は、真希島が顎に捉えられそうになった瞬間、その血液パックを炸裂させた。メルヴィレイの血液が真希島の体を急加速させる。

 龍の顎をかいくぐった真希島は、そのまま鋭く跳躍。その視線の先にあるのは制御柱

 加速の勢いをすべて利用して、真希島は加具土命を横一閃に振り抜いた。

 両断された制御柱は、加具土命の霊力の奔流に耐えきれず、小規模な爆発を起こして砕け散る。

 全力の一撃を振り抜いた真希島はその勢いのまま甲板を転がり、なんとか体勢を整えなおして着地する。その隙をカバーするように、メルヴィレイと角館が両脇に立つ。

「どうだ、これで……ッ!」

 制御柱を破壊された龍は動きを止めた。真希島はそれを見て、にぃと笑いを浮かべる。

 だが、次の瞬間。龍は全身に力を取り戻すと、絶叫のような咆哮を上げる。

 制御柱を破壊され、正気を取り戻した龍に流れ込んできたのは恐怖と困惑だった。その感情を叫びに変えて、その場にいる全員に叩きつける。そして、ぐるりと、真希島達の方に向き直った。恐怖を与えてくるものを、排除してしまえ。龍の双眼からは、いままでにない明瞭な敵意が伝わって来た。

「そう簡単に許してくれねぇよなぁ。お前ら、残弾は」

 真希島はぼやきながら立ち上がると、両脇の二人に問うた。

「全部撃ち尽くしたよ。でもまぁ、なんとかするしかないでしょ」

「私も打ち止めだ。ボーイに頼んでトマトジュースを貰ってこないと」

 角館とメルヴィレイ両名の言葉に三人はふふ、と笑いあい、再度それぞれの獲物を構えた。制御柱を破壊した今、自分たちの攻撃は有効打足りえる。ならば戦いようはある。3名は各々が自らを奮い立たせ、再び龍に相対しようとする。その時だった。

「二人とも、アレ!」

 角館が指差す先には、後部船橋。そして、見覚えのある銀髪と、見覚えのない青紫の少女。




 ヴィオレッタは船橋の端に立ち、中央甲板を見下ろした。戦場と化していたそこは既に廃墟の様相を呈しており、眼下には神山と同じ制服を着た三人。そして、悲しい叫びをあげる龍の姿。

 ヴィオレッタは一瞬、後ろを向いた。そこには神山の姿がある。神山は頷いて、彼女を見守る。正面に向き戻る。そこには、龍の顔。乱入者を見定めんとするその瞳は、ヴィオレッタには悲しみに暮れているように見えた。

 ヴィオレッタが息を吸い込む。龍はそれを見て、自らを害する存在と思ったのか、顎を開いて威嚇し、そして少女を噛み砕かんと、その首を伸ばした。神山が少女を助けようと飛び出す。

 だが、ヴィオレッタは動じなかった。彼女の喉から、歌声が溢れ出る。

 それは神の恩寵を讃える歌。自らの過ちや迷いを、神の恵みにより糺すことができたことに感謝を告げる歌。

 歌は船上に響き渡り、船内まで届き、一帯へと響き渡る。先ほどまで戦っていた三人にも、立ち上がり他の面々と合流しようと歩く黒氏にも、拘束されたまま部屋で怯える水戸にも、倒れ付した黒服達にも、避難する民間人達にも、ブラックホークの機上に居る四人にも、そばにいる神山にも、そして、目の前にいる龍にも。

 

「どうして……ここまで歌が……!?」

ブラックホークのローター音に掻き消されず響き渡るヴィオレッタの歌声に、立川は困惑する。原因を突き止めようと自身の端末に手を伸ばしたところで、あっ、と松岡が声を上げた。端末から顔を上げて、立川に報告する。

「これ……霊力です。彼女は、歌声で霊力を響かせているんです!」

 

 黒氏は壁に手を付きながら、廊下を歩いていた。そこに聞こえてきた歌声に、一度は耳を疑った。だがすぐにその歌声はヴィオレッタのものだと気づく。

「隊長……まったく、あなたに付いていくと、みんな無茶するんですから」

 思わず苦笑を漏らしながら、黒氏は合流するために再び歩き始めた。

 

 甲板上の三人は、警戒こそ解いていなかったが、響き渡る歌声に耳を傾けていた。

「いい歌だね」

角館が思わず言葉を漏らすと、メルヴィレイは同意するように頷く。真希島も同じく頷いて、感想を返した。

「ああ、いい歌だ」




 ヴィオレッタは、深海のような空間の先に、靄に覆われ鈍く光るものがあるのを感じた。ゆっくりと近寄り、それに触れようとする。ばちりと電撃のような痛みが走り、ヴィオレッタはそれに拒絶される。

 だが彼女は諦めなかった。痛みにも構わず、その光るものを抱きしめるように抱える。

 それは龍の心だった。フィルムを映す様に、彼の記憶がヴィオレッタに流れ込む。親と逸れ、海を彷徨う内に怪しげな一団に捕獲された彼は、制御柱を打ち込まれて彼らの傀儡となった。最後に彼の視界に映ったのはスーツ姿の男の影。

 それからは彼の記憶はあいまいだった。兵器としていい様に扱われ、いろんなものを破壊し、いろんなものを殺した。望まない行いに、彼は自らに恐怖し、悲嘆した。

 それでも彼は、はぐれた親と出会うために、生き続けることだけは決心していた。なにを薙ぎ払おうと、生き残る。船の底に休眠状態で設置されたまま、彼は閉ざされかけた意識の中でそれだけを考えていた。

 だが、次に彼が目覚めた時には奇怪な一団が居た。少女ばかりで、諦めずにこちらに立ち向かってくる一団。彼はそれでも戦い、結果、彼に掛けられた呪いは祓われた。

 だが、彼は恐怖からは抜け出せないでいた。次は彼女達が、自分の命を脅かすのではないか、と。

「大丈夫」

 ヴィオレッタは、そんな龍の心を抱きしめながら、つぶやいた。

「あの人たちは、私達を助けてくれるの。だから、もう心配しないで。私も、助けられたから」

 ヴィオレッタは、自らの能力が洗脳に使えることを熟知している。龍の心を別の風景に追いやれば、きっと龍は夢を見たまま、倒れ伏すだろう。

 だが、彼女は自らの力を、対話に使った。言葉が通じないもの同士の対話に。

 龍の心が、どくん、と脈を打った。靄が晴れていく。透き通るような光を取り戻してゆく。ヴィオレッタは頷いた。

 深海に光が満ちてゆく。

 

  ヴィオレッタの意識が現実世界に帰還した時、龍はその顎を納めていた。代わりに、不安そうな瞳をヴィオレッタに向ける。ヴィオレッタが両腕を差し出すと、龍はその鼻筋でヴィオレッタにじゃれついた。ヴィオレッタは、現実世界でも龍を抱き留めた。

「助けてほしいときは、いつでも呼んでね。私も、助けられるように頑張るから」

 龍はヴィオレッタが倒れないように、ゆっくりと優しく離れた。そして遠吠えのような咆哮を放つと、船体を蹴って海へと飛び込んだ。

 水しぶきを上げながら、龍は外海へと泳いでゆく。ヴィオレッタはその後姿を見つめながら手を振っていた。神山は、その様子を美しいものを見る目で眺め、微笑んだ。自らが受け継いだものを、誰かに渡すことが出来たかもしれない。それはきっと、もう会うことはできない彼女も望んでいることだと、神山は思った。

 夜の闇が終わり、薄明がやってくる。もうすぐ、日が昇る時間だ。

 ヴィオレッタは手を振り続けた。水平線にしぶきが消えても、いつまでも、いつまでも。